東藝術倶楽部瓦版 20171030:三大厄日ー「二百十日」

 

おはようございます。二週間続けての週末に日本列島を襲った台風2122号、日本列島各地に大きな被害をもたらしました。今朝は台風一過でよく晴れている東京ですが、これからその被害状況が明らかになっていくでしょう。自然災害は、我々人類に対する警告です。

 

さて、本日のテーマは「二百十日(にひゃくとうか)」です。雑節の一つで、立春から数えて210日目の日を指します。新暦では9月1日頃にあたります。この時期は稲の開花期でもあり、次のテーマである「二百二十日(にひゃくはつか)」とともに台風の襲来を警戒すべき日として、暦にも記載されていました。以前紹介した「八朔(旧暦8月1日)」や次回紹介する「二百二十日」とともに、昔から「三大厄日」として恐れられてきており、俗にいう「荒日(あれび)」、すなわち天候の悪い日とされています。

 

旧暦では、月初が朔とともに日取りが移動するので、二百十日の日付も1朔望月の間を変化することになります。具体的には旧暦7月17日から8月11日頃までで、季節を注意喚起することを目的として特に設けられました。

 

この二百十日は、品川の老漁夫の永年の経験に基づいて、渋川春海が貞享暦〔貞享2年(1685年)~宝暦4年(1755年)〕に記載するようになったと言われています。文献によれば春海は釣が好きで、その日も品川の沖に船を乗り出そうとしたときに、老漁夫が海上の一点を指さし、「今日は春節から数えて210日にあたるが、50年来の経験によれば、このような日は午後から海は大荒れになるから、釣りに出るのはよした方がいい」と言われ、果たしてその日は大暴風雨になったと言われています。後に春海はこの気象現象に長らく注意して自らも確かめ、貞享暦に二百十日を記載するようになったとのことです。

 

しかし、それ以前にも明暦2年(1656年)の「伊勢暦」や寛文11年(1672年)の「京暦」などにも「八十八夜」とともに二百十日の記載がみられることから、異説もあるようです。ただ、いずれにせよ貞享暦によって全国に伝わっていったこと、他の雑節とともに暦に刻まれるようになったのは江戸時代初期以降であることは間違いないようです。

 

また、二百十日には風害を鎮め豊作を祈るために、神社などで「風祭(かざまつり)」をすることも少なくありません。日本全国で行われ、八朔の日に行われるところもあります。単純なお参りから、おこもり、お日待(おひまち)、獅子舞、念仏、祈祷などが行われ、風を切るおまじないとして鎌を立てるところもあるようです。富山市の八尾(やつお)地域で行われる「おわら風の盆」(9月1日~3日)や新潟県の弥彦神社の風祭(9月1日)、兵庫県宍粟(しそう)市の伊和神社の風鎮祭(ふうちんさい)〔油万燈(あぶらまんどう)〕(8月26日)などが有名です。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年10月30日 08:55に書いたブログ記事です。

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