おはようございます。昨日から本日にかけてテレビを見れば、横綱日馬富士の引退のニュースばかり。北朝鮮のICBM発射のニュースも取り扱われてはいるものの、日馬富士のニュースばかりが目立つのは否めません。日本にとってどちらが今後の暮らし、生活、命にとって重要かを、よく考えることが大切です。
さて、本日のテーマは「火祭り(ひまつり)」です。火祭りは、俳句では秋の季語とされています。日本の各地で行われている火祭りですが、特に全国的に知られているのが、京都鞍馬山の由岐(ゆき)神社で毎年10月22日に行われる「鞍馬の火祭(鞍馬祭り)」です。今宮(いまみや)神社の「やすらい祭」や広隆寺〔大酒(おおさけ)神社〕の「牛祭」とともに「京都三大奇祭」の一つに数えられ、また「五山(ござん)の送り火(大文字焼き)」や清凉寺(嵯峨釈迦堂)の「お松明式」と合わせて、「京都三大火祭り」の一つにもなっています。
10月22日午前、由岐神社の本殿にて例祭が執り行われ、午後6時に神事触れの「神事にまいらっしゃーれ」の合図とともに、鞍馬の各戸に積み重ねられた「篝(えじ)」に一斉に火が着けられ、祭が始まります。幼少年が小松明を、青年が大松明をそれぞれ担ぎ、「サイレイ、サイリョウ(祭礼、祭礼)」と叫びながら町中を練り歩きます。中には重さ100キロを超えるような巨大な松明も現われ、参道は興奮と火の海に包まれます。火渡り神事などを行う山岳信仰の修験道と、護摩を焚く真言密教が習合したものと言われています。
由岐神社は、天慶3年(940年)に平安京の内裏に祀られていた由岐明神(由岐神社)を、都の北方の守護として、朱雀天皇の発案により鞍馬に遷されたのが始まりです。当時は都の大地震、或いは平将門の乱(天慶の乱)など災いが相次いで発生し、世情も不安であったことから、それを鎮める目的もありました。この遷宮の時に、鴨川に生えていた葦で松明を造り、道々に篝火を焚いて、神道具を先頭に文武百官供奉の国家的一大儀式が行われ勧請されました。その行列の長さは10町(1キロ)にもなったと言われています。この儀式に感激した鞍馬の住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後世に伝え守ってきたのが鞍馬の火祭の起源とされています。
その後、豊臣秀吉の信仰もあつく、慶長12年(1607年)に本殿と拝殿が豊臣秀頼によって再建されました。特に拝殿は、左右二つに分かれて、中央に通路のある「荷拝殿(にはいはいでん)」、または「割拝殿(わりはいでん)」と呼ばれる形になっており、桃山時代の代表的な建築物として、今では国の重要文化財に指定されています。
尚、日本には「日本三大火祭り」と言われる火祭りがあります。そのチョイスは、人によって様々ですが、特に三大祭りに選ばれるのは、この鞍馬の火祭のほか、長野県野沢温泉村の「道祖神祭り」、和歌山県那智勝浦町の「那智の火祭り(那智大社の扇祭)」、福岡県久留米市の大善寺の「鬼夜(おによ)」などで、開催される日もまちまちです。
高見澤