東藝術倶楽部瓦版 20171101:葉は花を思い、花は葉を思うー「曼珠沙華」は「彼岸花」か?

 

おはようございます。今日から11月、寒さも一段と増し、冬に向けた準備が進む季節となりました。私の仕事も1120日からの日本経済界の訪中団派遣準備で佳境に入っていきます。

 

さて、本日は長月の最後のテーマとして、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」について紹介しておきたいと思います。曼珠沙華は「彼岸花(ひがんばな)」とも言われ、毎年秋の彼岸の頃に、田んぼのあぜ道や人家の周囲、墓地などに、燃え盛る炎のような赤い花を咲かせるヒガンバナ科の多年草です。彼岸花のほかにも、「死人花(しびとばな)」、「捨て子花」、「石蒜(せきさん)」、「天蓋花(てんがいばな)」、「天涯花」、「幽霊花」、「かみそり花」などとも呼ばれています。「彼岸」については、すでに春の彼岸のところで紹介しているので、ここでは特に触れません。

 

この曼珠沙華は他の花とは異なる独特の咲き方を見せます。毎年、夏の終わり頃から秋の初めにかけて、高さ3050cmの花茎が地上に突然現れます。1日目に芽が出ると、2日目には20cmも伸びるというのですから、その成長の速さには驚かされます。花茎には葉も節もなく、その先端に苞に包まれた花序が一つ付きます。5日目には蕾が赤く色付き、7日目には開花します。花は長い雄蕊と雌蕊をもつ赤い6弁の花を数個輪状につけます。曼珠沙華は赤い花が一般的ですが、白や黄色の花を咲かせるものもあります。突然姿を現すことから、幽霊花などと言われるのかもしれませんね。

 

つまり、発芽から開花まで1週間という短い時間で突如現れることになります。そして、また1週間も経てば花も茎も枯れ、今度は球根から緑の葉がすくすくと伸びてきます。冬になり、周りの植物は枯れてしまいますが、曼珠沙華のたわわに茂った葉はそのまま冬を越し、春になると光合成による栄養素を球根にため込み、夏には葉を枯らして休眠期に入ります。そしてまた秋には、秋雨をたっぷり含んでから、急ピッチで姿を現し、再び花を咲かせるというサイクルを繰り返すのです。

 

日本では北海道から琉球列島まで見られ、自生ではなく、ユーラシア大陸東部から伝来してきたものと考えられています。しかし、稲作伝来の際に、土とともに鱗茎が混入して広まったのか、或いは有毒性、薬効を有することから敢えて持ち込まれたものか、その真偽は確かではありません。

 

曼珠沙華は全草有毒で、特に鱗茎にはリコリンやガランタミン、セキサニン、ホモリンコンなどのアルカロイドを多く含んでいます。誤食した場合、吐き気や下痢などの症状を起こし、酷い場合には中枢神経の麻痺を起して死に至ることもあります。その一方で、鱗茎は「石蒜」という名の生薬としても使われ、利尿や去痰の効能があるようですが、やはり有毒であるため素人が民間療法として使うのは危険です。有毒成分の一つであるガランタミンはアルツハイマー病の治療薬としても利用されているようです。

 

この花が田んぼのあぜ道や土手で見かけることが多いのは、有毒の球根をそこに植えることで、モグラやネズミが穴を開けることを防ぐことができると信じられていたからです。また、曼珠沙華の根茎は比較的強度が保たれることから、あぜ道や土手に植えられたとも言われています。墓地に咲くもの、昔、遺体を土葬していた時代に、その遺体を動物に掘り返されないために曼珠沙華を植えたものと考えられています。

 

そんな毒を持つ曼珠沙華ですが、実は非常のときの保存食として使われていたというのですから驚きです。この植物に含まれるアルカロイド系の毒物はいずれも水溶性ですから、「水晒し(みずさらし)」という方法で有毒成分を取り除き、そこから良質のデンプンを得ることができます。先ず、鱗茎を臼などの容器に入れつぶし、それを水でよく洗うことで有毒成分を取り除きます。流水を利用して数日間ほど晒すと、毒が完全に抜かれます。水で十分に晒されたデンプンを乾燥させれば、保存食の出来上がりというわけです。食料が尽きいざという時の非常食ですから、そう簡単に食べられては困るし、かと言って身近になければいけません。有毒性で、どの有毒成分が簡単に取り除かれ、しかも生活に密着した場所に群生する曼珠沙華は、格好の植物だと言えたのでしょうね。

 

曼珠沙華は、古代インドのサンスクリット語では「Manjusaka(まんじゅさか)」、「天界に咲く花」という意味だそうです。おめでたいことが起こる兆しとして、赤い花が天から降り注ぐという仏典の記述に基づいているようですが、実際に仏教でいうところの曼珠沙華は「白くやわらかな花」とされ、彼岸花と呼ばれる曼珠沙華とは外観が似ても似つかないものだそうです。ちなみに学名の属名「Lycoris(リコリス)」は、ギリシャ神話の女神で海の精であるネレイドの一人「Lycorias」に由来するものとされています。また、韓国では花と葉が同時に見られることがないので「相思華」と呼ばれています。「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味だそうです。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年11月 1日 09:17に書いたブログ記事です。

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