東藝術倶楽部瓦版 20171110:江戸幕府に支えられた鎮西大社の祭礼ー「長崎くんち」

 

おはようございます。米国トランプ大統領が日本をはじめアジア諸国を歴訪し、今日からベトナムのダナンで行われるAPEC首脳会議に出席します。もちろん、日本の安倍総理も出席しますが、アジア太平洋地域で影響力を強める中国の動向が気になるところです。これまでの経済発展の実績を背景に、自らの政策に自信を高める中国ですが、そこから得られることも少なくないはずです。いつまでも"JAPAN AS NO.1"ではいられません。

 

さて、本日は「長崎くんち」について紹介したいと思います。「くんち」は「おくんち」とも呼ばれ、すでに「重陽」のところで、旧暦9月9日に行われる祭礼のことを尊んで「おくにち」と言うようにり、それが訛って「おくんち」になったことを説明しました。この長崎くんちもその祭礼の一つで、「長崎諏訪祭り」がその正式名称です。九州北部に多いおくんちの祭礼の中でも、最も賑わいをみせるのが、この長崎くんちです。

 

現在では国の重要無形民俗文化財に指定されており、長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭で、毎年10月7日から3日間、長崎の町を挙げて行われています。長崎くんちのホームページによれば、寛永11年(1634年)に、当時の太夫町(後に丸山町と寄合町に移る)の二人の遊女、高尾と音羽の両人が、諏訪神社の神前に謡曲「小舞」を奉納したことが、この長崎くんちの始まりと言われていることが紹介されています。

 

長崎ではこの寛永11年に「出島」埋築が着工され、「眼鏡橋」が架けられていますが、長崎奉行の援助があったようで、キリシタン弾圧政策の一環として幕府がこの祭りを利用したことで、年々盛大になっていきました。奉納される踊りには異国情緒なものが多く取り入れられ、すでに江戸時代から豪華絢爛な祭礼として評判だったようです。

 

10月7日未明、諏訪神社本社で遷座式(せんざしき)があり、諏訪・森崎・住吉の3基の神輿を拝殿に奉安した後、各町内の氏子が社前で、傘鉾(かさほこ)を先頭にいろいろな奉納踊りを披露します。蛇踊り、傘鉾、川船などが有名です。7日午後1時になると、渡御式(おくだりしき)が行われ、3基の神輿が200段の石段を一気に駆け下り、大波止(おおはと)の御旅所(おたびしょ)に渡されます。8日には有名な「竜踊り」が催されます。神輿は9日の朝まで御旅所に留まり、市中を練った後、午後1時に諏訪の長坂を一気に駆け上がって本社に還幸(おのぼり)します。

 

長崎の諏訪神社は、鎮西大社と称えられる総氏神様で、諏訪、森崎、住吉の3社がおまつりされています。主祭神は諏訪大神である「建御名方神(たけみなかたのかみ)」、「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」で、相殿神は森崎大神の「伊邪那岐神(いざなぎのかみ)」、「伊邪那美神(いざなみのかみ)」と、住吉大神の「表筒之男神(うわつつのおのかみ)」、「中筒之男神(なかつつのおのかみ)」、「底筒之男神(そこつつのおのかみ)」です。戦国時代、長崎はイエズス会の教会領となり、かつて長崎に祀られていた諏訪、森崎、住吉の3社は焼かれたり、壊されたりして無くなっていました。それを寛永2年(1625年)に初代宮司・青木賢清(あおきかたきよ)〔天正10年(1582年)~明暦2年(1656年)〕が西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興し、長崎の産土神としたのが始まりだそうです。慶安元年(1648年)には、徳川幕府より朱印地を得て、現在地に鎮西無比の荘厳な社殿が造営されました。その後、安政4年(1857年)に社殿は焼失し、現在の社殿は明治2年(1869年)に再建され、昭和59年(1974年)と平成6年(1994年)の2度にわたる造営により完成したものだそうです。

 

高見澤