東藝術倶楽部瓦版 20171116:鹿の神アメノカクー春日大社の「鹿の角切り」

 

おはようございます。来週からの経済界の訪中団派遣準備で、連日連夜の残業続き、体力的に厳しい日が続いています。また、中国側とのやり取りで精神的にもストレスが溜まり続けています。組織全体として業務の見直しをしなければならいと実感しています。こうした現象は、日本全国どこでもあるように思えます。

 

さて、本日は春日大社の「鹿の角切り」について紹介したいと思います。鹿の角切りの行事と言えば、奈良の春日大社が有名です。毎年10月上中旬の日曜日に行われています。もちろん、春日大社以外でも山形県にある鳥海山大物忌神社や、岩手県石巻市の金華山金山神社などで行われており、いずれも催されるのは10月上中旬です。

 

春日大社の鹿の角切りは、交尾期に入って気の立った奈良公園の鹿が、人を傷つけるのを防ぐことを目的に、鹿の角を切り落とす行事です。柵で囲んだ場所に鹿を追い集め、縄の先に輪を結んだ「タンビ」と呼ばれるものを角に投げ、「勢子」と呼ばれる人たちが数人で押さえつけ、神官によってのこぎりで切り落されます。

 

この行事の歴史は古く、江戸時代の寛文11年(1671年)から危険防止と樹木保護のために始められたといわれています。奈良公園のシンボルである鹿は、古来、神の使いとして保護されてきています。奈良公園には、現在約1,500頭の鹿がおり、奈良公園内に生息しているのは1,200頭余りで、300頭弱が鹿苑内に保護されています。角があるのは雄鹿だけで、生後1年で1本角を1対、成獣になると3つに枝分かれした立派な角を1対もつようになります。奈良公園に生息する雄鹿は300頭弱で、そのほかは700頭余りの雌鹿と200頭余りの小鹿です。雄鹿の角は毎年生え変わり、放っておいても春先の2~3月には脱落しますが、それまでの期間に人を傷つける危険性もあるので、こうして角切りが行われるのです。脱落した角は、4月頃からまた新しく生え出してきます。

 

このように、春日大社や鹿島神宮などでは神の使い、すなわち「神使(しんし)」とされる鹿ですが、その由来は『古事記』にみることができます。高天原が大国主(オオクニヌシ)に国譲りをさせる際に、先ずは天穂日(アメノホヒ)、天若日子(アメノワカヒコ)に交渉させますが失敗します。そこで、天照(アマテラス)は使者として天之尾羽張(アメノオハバリ)に頼むことになったのですが、彼は山の奥で水を堰き止めていて、そう簡単に会える神ではありませんでした。その時に、アメノオハバリに会いに行く交渉役として選ばれたのが「天迦久(アメノカク)」でした。この伝令役である「アメノカク」こそが鹿の神とされています。「迦久」は「鹿児」を意味しています。アメノオハバリは自分の代わりとして息子の建御雷(タケノミカヅチ)をオオクニヌシのもとに差し向け、国譲りを承諾させることになります。このタケノミカヅチが鹿島神宮の祭神となり、その後平城京鎮護のために、春日大社にも分霊されることになりました。

 

·  高見澤

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