おはようございます。毎日仕事に追われているせいか、1日が過ぎるのが早く感じてなりません。仕事を楽しみに変えるのにも限度があり、ゆっくり休みをとってのんびりしたい気分です。
さて、本日は「時雨(しぐれ)」について紹介したいと思います。以前、葉月のところで「蝉時雨」について紹介した際に、時雨について多少説明したかと思います。晩秋から初冬にかけて降る断続的な冷たい小雨のことを指します。時雨が降る天候に変わることを「時雨れる」と呼ぶこともあります。時雨の多くは、風に送られてくる局地的な通り雨で、パラパラと音を立ててしばらく降り続き、止んだかかと思うとまた降り始めたりします。
この時雨の語源ですが、「過ぐる」が訛ったものとも言われますが、諸説あって定かではありません。平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』〔略称『和名抄(わめいしょう)』〕では「(雨かんむりに衆)雨」と書いて「之久礼(しぐれ)」と訓(よ)んでいます。『万葉集』には40例近く見られるゆで、巻8や巻10では「秋雑歌(あきぞうか)」に位置付けられ、紅葉(黄葉)を染めたり散らしたりする雨として考えられていたようです。ただ、そこではまだ「時雨」という用字ではなく、「時雨」が使われるようになったのは平安時代に入ってからと考えられています。
『古今和歌集』には「時雨」が使われた用例は12首、いずれも季節としては秋を意識したものですが、平安中期の頃になると季節に対する意識に変化がみられます。『御撰和歌集』では冬の景物として定着し、時雨の多い京の風土とも相まって王朝文学にも頻繁に使われるようになりました。俳句でも冬の季語になっています。
「初しぐれ猿も小蓑(こみの)をほしげなり」
「旅人とわが名呼ばれん初しぐれ」
いずれも時雨を詠んだ松尾芭蕉の句です。時雨を詠んだ句を多く残した芭蕉は、長崎へ向かう旅の途中、大坂で病に倒れ、元禄7年(1694年)10月12日に没しました。旧暦10月は「時雨月(しぐれづき)」の別名があり、芭蕉の忌日(きにち)である10月12日は「時雨忌(しぐれき)」と呼ばれています。「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」という世辞の句を残しています。下の浮世絵は鈴木春信〔享保10年(1725年)~明和7年(1770年)〕が描いたものです。紅葉の頃の雨ですから、まさに時雨を描いたものでしょう。
ところで、生姜を加えた佃煮のことを「時雨煮(しぐれに)」と呼んでいますが、これは元々はハマグリを煮た「時雨蛤」のことを指していたようです。芭蕉十哲の一人である江戸時代中期の俳人、「各務支考(かがみしこう)」〔寛文5年(1655年)~享保16年(1731年)〕が名付けたものとされています。いろいろな風味が口の中を通り過ぎることから、一時的な雨である時雨に喩えたとか、ハマグリは時雨の時期が最もおいしい季節だからとか、短時間で仕上げる料理法が時雨みたいだとか、名付けの由来も諸説あります。
また、「時雨」と聞いて初代神風型駆逐艦の「時雨」や白露型駆逐艦の「時雨」を思い浮かべる軍事マニアもいるかもしれませんね。
高見澤