おはようございます。日本列島に寒波が到来し、今週は比較的寒い日が続いています。それでもここ東京の寒さは、1年半前まで駐在していた北京に比べればまだましな方です。寒暖の差、乾燥の度合い、大気汚染の程度など、どれをとっても北京の方が厳しい環境に置かれています。中国人のバイタリティーは、そんな厳しい環境の中で育まれていくのかもしれません。
さて、本日は「神農祭(しんのうさい)」について紹介したいと思います。この神農祭は、薬種問屋の街である大阪道修(どしゅう)町の「少彦名(すくなひこな)神社〔神農(しんのう)さん〕」の行事で、元々は薬種商が冬至の日に、医薬の祖とされる「神農(しんのう)」を祀って祝っていました。現在では薬祖講の行事として、毎年11月22日から23日にかけて行われ、大阪市無形文化財(民俗行事)にも指定されています。
神農は「炎帝(えんてい)」とも呼ばれ、中国古代の伝説上の帝王で、「三皇五帝」の一人に数えられており、鎌や鍬などの農具を発明し、五穀を蒔くなど人々に農耕を教え、百草をなめてその中から薬草を見分け、医薬・医療の術を人々に教えたとされています。
「飲食養生鑑(いんしょくようじょうかがみ)」〔寛永3年(1850年)〕
神農祭の始まりは、文政5年(1822年)に長崎で発生したコレラが大坂でも流行し、多くの死者が出た際に、薬種仲間が病除けの薬として「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)」という丸薬を作り、「神虎(張子の虎)」の御守りと一緒に神前祈願の後施与したことに由来するといわれています。今は、五葉笹に張り子の虎と少彦名神社の御札を付けた張り子の虎を、家内安全無病息災の御守りとして授与しています。
このコレラの流行ですが、日本では初めてのことで、当時の大坂では1日に300~400人の死者が出たといわれることから、大騒ぎになったことでしょう。コレラにかかると2~3日でコロリと死ぬことから「三日コロリ」と呼ばれ、虎と狼が一緒になってやってくる恐ろい病気ということで「虎狼痢(コロリ)」との当て字も生まれたようです。
少彦名神社は、中国の神農と日本の医薬の神「少彦名神(すくなひこなのかみ)」を祀っています。この神社の起源は、安永9年(1780年)10月、薬種仲買仲間の伊勢講が、薬の安全と薬業の繁栄を願い、京都の五條天神社より少彦名の分霊を道修町の仲間会所(現在の少彦名神社)に勧請し、すでに仲間会所に祀ってあった神農とともに祀ったことにあるとされています。
祭の当日は、道修町筋は一斉に休業し、薬品会社の社員も老舗の旦那も揃って参詣します。また、神農祭は大阪の1年を締めくくる祭りとして「とめの祭り」とも呼ばれています。
高見澤