東藝術倶楽部瓦版 20171215:年1回の逢瀬を楽しむー秩父夜祭り

 

おはようございます。毎年、京都の清水寺で発表される今年を象徴する一文字は「北」でした。確かに、日本を含め世界が北朝鮮に翻弄させられた1年であったことは間違いありませんが、ネガティブな観点で世界を捉えると、気持ちも沈み込んでしまいます。何事も常に前向きに捉えることで、世界もまた変わっていくと思います。

 

さて、本日は、師走の最初の年中行事として、「秩父夜祭り」をテーマに取り上げたいと思います。秩父夜祭りは、「秩父祭り」とも呼ばれ、秩父神社の例大祭です。日テレの看板番組「笑点」にレギュラー出演している林家たい平が秩父の出身で、ことあるごとに秩父の宣伝をしていますが、その中にもこの秩父夜祭りがよく取り上げられています。

 

秩父夜祭の開催日は毎年12月2、3日の2日間で、2日は「宵宮(よみや、よいみや)」と呼ばれ、「曳き回し」と呼ばれる秩父屋台の運行があり、各屋台で祭囃子、長唄、踊りなどが披露されます。また、鎌倉時代から続けられている「神馬奉納の儀」が行われ、人々は神馬に選ばれた馬の毛並みによって翌年の天候や豊作を占います。そして3日が「本宮(もとみや、ほんぐう)」と呼ばれる本祭りです。各町内から屋台2台、山車4台が曳きだされ、屋台の上で奏でる囃子にのって神輿行列のお供をします。急坂を山車が引き上げられるのが見物だとか。神輿が御旅所に着くと、屋台の上で素人歌舞伎が披露され、深夜まで花火が打ち上げられます。

 

この秩父夜祭りですが、京都祇園際、飛騨高山祭とともに「日本三大曳山祭(ひきやままつり)」の一つに数えられています。名物の屋台は、笠鉾・天道・セキ台(水鉢)・万灯などを備え、左右に下座を張り出すと歌舞伎舞台にもなります。また、201612月にはユネスコの無形文化遺産として登録されています。

 

この祭りの始まりは江戸時代の寛文年間(1661年~1672年)に始められたと伝えられ、すでに300年以上の歴史があるとされていますが、秩父神社の例祭はそれ以前にも行われていた形跡があるようです。元々の起源は、秩父神社の女神(妙見菩薩)と「武甲山」の男神(蛇神・蔵王権現)が年1回の逢瀬を楽しむ日を祝うものと伝えられています。男神にはもともと正妻がいて、神幸路の途中にある番場町諏訪神社の八坂刀売命(やさかとめのみこと)だとされています。2日行われる「番場諏訪渡り」は、年に1度の逢瀬を楽しむ許可を求める祭礼と言われています。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年12月15日 11:52に書いたブログ記事です。

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