おはようございます。今年も残すところあと10日となりました。明日は直接筑波に移動、明後日から日中省エネ・環境総合フォーラムの開催とその後の視察随行のため、しばらくは本瓦版もお送りできませんので、ご了承ください。次回は年末28日にお送りするようにしたいと思います。
さて、本日は「煤(すす)払い」について紹介したいと思います。煤払いは、年末・年始を迎えるにあたって、12月13日に家の内外を大掃除する行事で、「煤掃き」、「煤納め」などとも呼ばれています。これは、前回もお話しした通り、関西では12月13日が正月の事始めであったことに因むとも言われています。
煤払い自体は平安時代からあったようですが、江戸時代に徳川幕府が12月13日を江戸城御煤納めの日と定め、江戸城内では奥女中たちが神棚や城内を清掃し、煤払いを行っていました。これを江戸庶民もお上にならって、この日に煤払いをするようになりました。当時、この煤払いは派手に行われていたようで、大掃除が終わると、商家の主人の胴上げが行われ、大いに祝宴が上げられたそうです。
(「武家煤払いの図」喜多川歌麿)
この煤払いは、元々は年神(としがみ)を祭る準備をするための宗教的な行事で、単なる掃除とは違うものです。つまり、正月事始め、神祭りの始まり、物忌みの始まりがこの13日の煤払いだったのです。その名残りなのでしょうか、長野県の一部で13日を「煤掃きの年取り」、青森県では27日を「煤掃き節句」などと呼んでいます。ちなみに、年神とは正月に家々で祭る神のことで、五穀を守ると言われています。
13日に煤払いを済ませてしまうと、正月までにはまだ日があります。そのため、煤払いの日には神棚と仏壇のみの掃除を行い、家の内外の大掃除はそれ以降の適当な日に行うようになりました。やがて、これが暮の大掃除という形になっていくのですが、今ではこの煤払いも定期的な行事ではなくなってしまいました。
尚、寺院などでは本尊の掃除をすることを「煤払い」、「御身拭式(ごしんしょくしき)」とも言い、東京の目黒不動尊、浅草観音では12月12日に行っています。また、長野県諏訪市の諏訪神社上社では12月27日、下社では28日にそれぞれ行われています。
新たな年を迎えるにあたり、家の内外とともに、心身の「煤払い」が必要なのかもしれません。
高見澤