東藝術倶楽部瓦版 20180105:壁や親の世からの「古暦」

 

おはようございます。年も明け、昨日は初出勤であったにもかかわらず、いきなりの残業で、昨晩家に着いたのは10時半を過ぎていました。初日から全力疾走です。

 

さて、皆さんは「古暦」と書いて、何と読みますか? おそらく「これき」と読む方と、「ふるごよみ」と読む方がおられるかと思います。「これき」と読むと、それは室町時代末期から江戸時代初期にかけての暦書、つまり昔の暦のことを指します。一方、「ふるごよみ」と読むと、年末の残り少なくなったその年の暦のことを指します。それに対して、翌年用の暦を「新暦(しんごよみ)」と呼びます。

 

「板壁や親の世からの古暦」

 

ご存知、小林一茶の句です。1年間の思い出が詰まっているだけに、古暦は捨てるにしのびない味わいがあるというのが、昔の人の思いだったのかもしれません。余裕のない現代では、「日めくり」はあまり人気がありません。以前、私も使っていたことがありましたが、毎日めくるのが面倒で、数日まとめてめくることも多く、それでは日めくりの意味がなくなってしまいます。ただ、新たな年の始まりを実感するのは、その日めくりの表紙を破るときだという人もあり、いまだに使っている人も少なくないようです。ことわざや英会話を印刷するなど、いろいろな趣向やアイデアをこらした日めくりもあります。

 

上の絵暦は天保15年(1844年)に出版された弘化2年(1845年)の「盛岡絵暦」です。盛岡絵暦は、絵で示す事物の発音をもって季節を表現するのが特徴で、例えば、荷を担いだ盗賊は「入梅(荷奪い)」、塔と琴柱(ことじ)は「冬至」をそれぞれ示しています。江戸時代にも、その時代なりのアイデアや工夫を凝らした暦があったことが分かります。

 

昔から、企業や地元の商店が年末の挨拶を兼ねて、得意先にカレンダーを配り歩く習慣があります。俳句ではこれを「暦配り(こよみくばり)」と表現します。これもまた、師走の年中行事として、庶民の間で親しまれています。

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年1月 5日 10:30に書いたブログ記事です。

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