おはようございます。昨日は朝晩は冷えたものの、昼間はかなり気温が上がった東京ですが、今日はさほど暖かくはならず、週末にはまた寒くなるようです。季節の変わり目でもないのに、なぜこうも気温の差が激しくなるのでしょうか?非常に気になるところです。
さて、年の暮に正月の飾り物や雑貨品などを売るために、昔から各地で市が立つのは皆さんもご存知のことと思います。これを「年の市(としのいち)」と言い、現在ではデパートや商店街などでは歳末の大売り出しなども、この年の市として数えられています。
年の市として古くから有名なものとして、「羽子板市(はごいたいち)」というのがあります。羽子板市でもっとも知られているのは、毎年12月17~19日に行われる東京都台東区の浅草観音(浅草寺)の羽子板市でしょう。毎月18日は観世音菩薩の縁日で、なかでも12月18日は「納めの観音」と呼ばれ、特に参拝者が多くなります。江戸時代、12月17、18日の観音の縁日の人出を見越して、境内に正月用の品や縁起物の品を売る露店が集まり、これが「年の市」と呼ばれるようになりました。もちろん年の市は他の寺社周辺でも催されていましたが、浅草観音の市の規模が江戸随一で、浅草橋から上野に至るまで店が並び、大いに賑わったそうです。
浅草観音の年の市では、貞享年間(1683~1687年)の頃には既に羽子板が売られていたようですが、多く売られるようになったのは江戸末期頃と言われています。この年の市は、やがて羽子板市と呼ばれるようになり、現在では年末恒例の風物詩となっていて、境内に数十軒の羽子板を売る店が立ち並んでいます。市で大きな羽子板が売れると、「お手を拝借」の勇ましい掛け声に合わせてシャンシャンシャンと手締めが行われます。
羽子板は、「無患子(むくろじ)」という黒く堅い木の実に彩色した鳥の羽を付けた羽子(はね)を、柄のついた長方形の杉や桐の板で突いて遊ぶ正月遊戯の道具のことです。もともと羽突きは宮中の遊びであったものが、江戸時代に庶民の間にも普及しました。羽突きの羽子が虫を食べるトンボに似ていることから、悪い虫(病気)を食べる、あるいは羽子の先に付いている「豆」から、「まめに暮らすことができる」など、羽子板も含め縁起物として扱われていました。やがて、これが女の子が生まれた家に羽子板を贈る風習が盛んになり、羽子板を売る店が立ち並ぶようになったと言われています。
羽子板は、古くは「こぎ板」と呼ばれ、簡素なものであったようですが、これた文化文政年間(1804~1830年)頃から片面に役者の押絵などを貼り付けたり、金箔などを押した豪華な羽子板が作りだされ、流行るようになりました。
この羽子板市ですが、浅草観音のほかにも、東京都中央区日本橋の薬研堀不動尊(12月27、28日)や京都新京極でも市が立っています。
高見澤