東藝術倶楽部瓦版 20180112:一陽来復ー「冬至」

 

おはようございます。相変わらず寒い日が続きます。仕事の量も相変わらず減りません。今年度事業もある程度目途がついたと思うと、もう来年度に向けて新たな事業計画と予算取りに走り始めなければならない時期になっています。

 

さて、本日は「冬至」について紹介していきたいと思います。 ご存知の通り、冬至は二十四節気のうちの第22番目、11月の中気に当り、天文学的には太陽黄経270度のときを指します。新暦では122123日頃になります。1年で最も南にある日で、夏至とは反対に日照時間が最短で、夜が最も長くなる日です。

 

冬至は太陽の力が一番弱まった日と考えられ、この日を境に再び力が甦ってくることから、太陽が生まれ変わる日と捉え、昔から世界各地で冬至の祝祭が行われていました。太陰太陽暦では、冬至が暦の起点ともなっています。中国や日本では、冬至が「陰」の極みとなる日で、翌日から再び「陽」に転じると考えられ、これを「一陽来復(いちようらいふく)」と表現しています。つまり、運が上向く日というわけです。

 

中国でも昔から「冬至節」として、これを祝う風習があります。暦の起点である冬至ですから、中国の歴代の皇帝も天を祀る儀式を行う大切な日であったのです。北京にある天壇公園は、明朝、清朝の皇帝が正月と冬至に天を祀る儀式を行った場所です。皇帝は「天子」であり、天命として天の動きを司る能力を持つ者とされ、暦作りは天子が天子たることを人民、並びに周辺諸国に示す必要がありました。こうした中華と周辺隣国との関係を「冊封(さくほう)」という言葉で表します。元々「冊」とは「本」、すなわち「暦の本」のことで、中国の周辺隣国は「冬至使」と称する使者に貢物を持たせ、天子のところに出向させ、天子への謁見が叶うと、貢物の返礼としてそれに勝る下賜物と「冊」を受け取っていました。

 

日本でも暦の作成は重要視され、江戸時代も朝廷と幕府でそれぞれ暦を編纂していたことは、以前にもご紹介した通りです。日本では、冬至の日には粥を作り、コンニャクやカボチャを食べたり、冷酒を飲んだりするなど、特定の食べ物を食する習慣が残されています。冬至に食べる粥のことを「冬至粥」と言い、小豆を入れたお粥で、小豆の赤が太陽を意味する魔除けの色で、厄払いの意味が込められているとのことですが、中国や韓国でも小豆入りの団子汁を食べることから、本格化する冬に備えて栄養価の高い小豆などの食べ物をとり、風邪などひかないようにする薬喰の風習とも考えられます。カボチャはカロチンやビタミンなどの栄養が豊富で、長期保存がきくことから、緑黄色野菜の少ない冬にはうってつけの食べ物です。これを冬至に食べると、風邪や中風(脳血管疾患)に罹らないとも言われています。

 

冬至のもう一つの習慣として、風呂に柚を入れて入浴する「柚子湯」があります。お風呂の湯に、柚子の実の輪切りや皮を浮かせて入浴するもので、柚子湯に入れば、柚子の香りがして心が静まり、身体が温まって風邪を引かないとか、霜焼けにならないとか、無病息災の効果があると信じられていました。柚子はミカン科の常緑樹で、初夏に白い花が咲き、冬に黄色い実がなります。酸味が強すぎて生食にはしませんが、皮が芳香があるので、鍋物などにはよく使われます。この強い香りが邪気を祓うとの考えもあり、また柚子(ゆず)→「融通」がきく、冬至→「湯治」に通じて縁起も良いとされていました。確かに、柚子には血行を促進して身体を温め冷え性を緩和したり、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果もあるようです。お風呂好きな日本人にとっては、もってこいの年中行事ともいえるでしょう。

 

高見澤

 

 

 

 

 

 

 

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年1月12日 10:29に書いたブログ記事です。

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