東藝術倶楽部瓦版 20180302:今の俗男女厄を分つ、その拠るところを知らず-「厄年」

 

おはようございます。いよいよ明日は江戸城勉強会です。皇居東御苑の中を歩き、その後はぐるりと一周しますので、かなり歩くことになります。歩きやすい靴でご参加ください。ちなみに皇居一周は約5キロメートルですから、東御苑内や北の丸を加算すると6~7キロメートルになるかと思います。

 

さて、初誕生の祝いのあとの人生儀礼としては、初節句(初節供)や七五三、十三参りなどがありますが、このテーマはすでに年中行事のシリーズで取扱いましたので、ここでは省略させていただきます。そこで本日は、「厄年(厄払い)」についてご紹介したいと思います。

 

厄年とは、人の一生のうちで厄難に遭遇するおそれが多い年齢のことをいいます。現代科学でいうところの科学的根拠はなく、医学が発達したとされる今日でも、依然として忌み慎まなければならない年頃として、一般に根強く意識されています。

 

厄年が信じられてきたのは、厄月や厄日とともに室町時代からといわれています。その起源の一つが陰陽五行思想で、数字の陰陽と深く係っているようですが、その理論的根拠はよく分かっていません。当初、公家や武士の間で信じられていたものが、次第に一般に広まり、庶民の間に定着したのが江戸時代だといわれています。また、男女の厄年が別々になり、大厄・前厄・跳厄(後厄)といった考え方も江戸時代だったようです。

 

江戸時代の正徳3年(1713年)に編纂された『和漢三才図会』には、「今の俗男女厄を分つ、その拠るところを知らず。男四十二を大厄とし、その前年を前厄といい、翌年を跳厄(はねやく)といい、前後三年を忌む...」とあります。時代をさらに遡ると、『源氏物語』(平安時代中期)、『栄華物語』(平安時代後期)、『水鏡』(鎌倉時代初期)、『高国記』(成立年未詳、室町時代から戦国時代にかけての畿内の戦乱を叙述した合戦記)などにも厄年に関する記述がみられ、13歳、33歳、37歳、42歳を厄年としています。

 

今日、一般的に厄年とされているのは以下の通りです。

男性:10歳、25歳、42歳、61

女性:19歳、33歳、37

このうち、男性42歳、女性33歳を「大厄(たいやく)」と称し、その前後の年も前厄、後厄として、最も慎まなければならない歳とされています。このため、多くの人が厄払いのために各地の寺社へ参詣するほか、厄払いをしています。

 

こうした厄年は迷信的な要素が強いという理由で、識者の間では排斥する向きもありますが、医学的見地から合理性があるという意見もあります。男性42歳は、働き盛りで体力的に無理をしやすい時期であり、女性33歳は出産・子育てと苦労が多く体調を崩しやすい時期で、男女ともに生理的な節目にあたるといわれています。こうした節目に、自分の人生を振り返ることも必要なのかもしれません。

 

高見澤

 

 

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年3月 2日 09:30に書いたブログ記事です。

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