東藝術倶楽部瓦版 20180312:故人をしのび、冥福を祈る「忌日」

 

おはようございます。大相撲春場所が始まりました。白鳳、稀勢の里の横綱2名が休場、一人鶴竜が出場するも身体は万全ではないとのことです。昨日に鶴竜は勝ったものの、豪栄道、高安の両大関が敗れるという波乱含みの初日を迎えましたが、ここのところ何かと騒がれる角界、実際の興行にもその影響が出ているようです。これまで溜りに溜まった膿を出し切り、新たな気持ちでの再スタートが望まれるところです。

 

さて、前回、人生儀礼を「長寿の祝い」で終わりにすると記しましたが、すみません。人生儀礼の最後のテーマが漏れていました。そのテーマとは「忌日(きにち)」です。本日はこの忌日について紹介していきたいと思います。忌日は「諱日(きにち)」、「命日」とも言い、故人の亡くなった日にあたる日のことです。故人を追慕し、忌み慎み、法要や読経などを行って冥福を祈ります。その多くは仏教の儀礼として発生し、伝えられてきたものです。

 

一般的に行われる仏式での忌日は、以下の通り決められています。以前「十王詣」(東藝術倶楽部瓦版20170915)をテーマにご説明した際に、「十三仏」について触れましたが、それにも関係しているので、ご関心のある方は読み返してみてください。

お逮夜(おたいや):初七日の前夜

初七日(しょなのか):亡くなった日を入れて7日目

二七日(ふたなのか):14日目

三七日(みなのか):21日目

四七日(よなのか):28日目

月忌(つきいみ):1カ月目の命日

五七日(いつなのか):35日目

六七日(むなのか):42日目

七七日(しちしちにち):49日目、満中陰(まんちゅういん)

百カ日(ひゃっかにち):100日目

祥月命日(しょうつきめいにち):亡くなった月の命日(一周忌以降の亡くなった月日)

 

この中で、特に詳細に説明をしておきたいのは、以下3つの忌日です。

 

お逮夜

初七日の前夜に、親類縁者を招いて供養し、その後で精進料理をいただく習わし。地方によっては、この日を「精進落し」として、生臭いものを入れた料理でもてなすこともある。「逮」は「及ぶ」の意味で、「夜に及ぶ」まで斎祀る(いつきまつる、穢れを落すこと)意味が込められている。今では、葬儀と一緒にお逮夜、初七日までの儀式を済ませてしまうことが多い。長野県佐久地方では「灰寄せ」と呼ばれている。

 

七七日

一般に「四十九日(しじゅうくにち)」と呼ばれている。西日本では「満中陰」、「中陰満」ともいう。どこにも転生できないといわれる死者の魂を成仏させる供養の日とされる。

 

百カ日

没後100日目の法要のこと。六道のうち飢餓道に堕ちた亡者や無縁の亡者のために行う施餓鬼会(せがきえ)を営み、神仏の供養とともに、無縁仏の供養を合わせて行うことが多い。この百カ日を過ぎると、以降は故人の亡くなった月の命日に年忌を行う。

 

こうした忌日、年忌の風習は中国から伝来してものですが、これが日本で11世紀以降に十王信仰とともに広まりました。江戸時代に十王信仰から十三仏信仰へと発展していったことは、以前の瓦版で説明した通りです。

 

今回で江戸の暦については、ここで一旦終わりにさせていただきます。次回からは、「江戸の町作り」についてお話を進めていきたいと思います。

高見澤

 

 

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年3月12日 10:56に書いたブログ記事です。

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