東藝術倶楽部瓦版 20180319:天下取りに向けた家康の拠点造り-神田山を切り崩して日比谷入江を埋め立て

 

おはようございます。昨日から腰痛に悩まされ、本日は休養を取ることにしています。先ほど、職場にはその旨連絡をしたところです。明日の理事会を控え、本来であれば休んでいる訳にはいかないところですが、身体がいうことをききません。こんなときは「休め」ということなのでしょうね。

 

さて、本日の「江戸の町造り」は、いよいよ徳川家康の時代に入っていきます。天正18年(1590年)、豊臣秀吉によって後北条氏が滅ぼされると、家康は御北条氏が支配していた関八州(相模、伊豆、武蔵、上総、下総、上野、下野の一部、常陸の一部)へと移封させられます。そのとき、家康が居城として選んだのが江戸でした。当時の江戸城は太田資長が築いたままの小さな城で、徳川家が移り住むには適切ではありませんでした。多くの家臣を引き連れてくるのですから、手間暇を考えれば旧来ある程度整備されている小田原か鎌倉なとの地を選ぶのが常識です。後の徳川家の発展を考えれば、江戸を居住地と選んだのが、常識にとらわれない家康の深謀遠慮がそこにあったのかもしれません。

 

当時の江戸は、目前には海が迫り、江戸湾沿いの一帯は多くの汐入地が点在し、満潮になれば海水が入り込み、潮が引けば葦や萱などが生い茂る湿地帯になっていました。後背地には武蔵野の山や林に覆われた原野が広がり、平坦な土地は少なく、とてもではありませんが多くの人が生活できるような場所ではなかったようです。とはいえ、最近の扇谷氏や御北条氏の記録や古文書の研究から、江戸は家康入府以前から交通の要衝としてある程度発展していたのではないかとの見方もあるようです。しかし、家康が江戸入府以降、大規模な江戸の町造りを始めたことは確かです。

 

天正18年8月1日(旧暦)、いわゆる「八朔」の日に家康は駿府から江戸に居を移します。家康は、江戸城本城の拡張は一程度に留め、まずは城下町の建設を進めたといわれています。江戸城を本格的に拡張するには、普請に携わる町民を集め、住まわせる必要があったからでしょう。江戸城和田倉門から隅田川まで道三堀を穿ち、そこから出た土で江戸城の目の前に広がっていた日比谷入江を埋め立て始め、その後、神田山(大手町から駿河台にかけての一帯)を削り、日比谷入江や数多くあった汐入地を埋め立てて町を広げました。また、平坦になった神田山の跡地も人が住める土地になりました。現在も高台の神田駿河台は切り崩された神田山の名残です。日比谷入江の東、隅田川河口の西には「江戸前島(えどまえとう)」と呼ばれる砂州があり、当時は半島になっていましたが、日比谷入江が埋め立てられることによって地形が大きく変わり、半島ではなくなってしまいました。

 

 

家康は上水道の整備も積極的に行いました。平川(神田川下流)は江戸市中へ物資を運ぶ輸送路でもあり、江戸城を守る濠(外濠)としても利用され、神田山を切り崩した際に平川を隅田川に合流させ、江戸市中に水を運ぶ上水・小石川上水(後の神田上水)として活用したのです。これが神田上水として完成するのは3代将軍家光の時代ですが、水源は湧水に恵まれ水量が豊富な吉祥寺村の井の頭池です。また、当時は今の行徳(千葉県市川市南部)が塩の産地であったことから、道三堀に加え小名木川(おなきがわ)などの運河が造られ、塩や米を運ぶ重要な水上輸送路として活用されました。その後、江戸城も拡張され、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などが築かれることになります。江戸城の周りには多くの濠割が造られ、敵からの防御に加えて、水上輸送が便利になり、商業都市としての発展の基礎がここに出来上がることになります。

 

文禄3年(1594年)、家康は隅田川で最初の橋である千住大橋を架けます。明暦3年(1657年)の明暦の大火で多数の死者を出すまでは、江戸の防御のためにこの橋以外に隅田川に橋を架けることは禁止されていました。明暦の大火後に隅田川に架けられた2番目の橋が両国橋です。江戸の橋については、また特集を組んで説明していきたいと思います。こうして、家康の天下取りに向けた拠点造りが始まっていくのです。


高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年3月19日 07:39に書いたブログ記事です。

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