東藝術倶楽部瓦版 20180425:八省の長-御三卿

 

おはようございます。東京都心は昨日から降り始めた雨が今朝も続いています。肌寒いかと思って上着を羽織っていけば蒸し暑く感じ、かといって上着を脱いで外に出れば肌寒さを感じるという、どっちつかずの天候には参ってしまいます。日々の気温の温度差で体調を崩している人もいますので、お気を付けください。

 

さて、本日は徳川幕府の「親藩」のうちでも「御三家」に次ぐ家格とされる「御三卿」について紹介したいと思います。御三家が初代将軍・家康の息子たちによって創設されたのに対し、御三卿は8代将軍・吉宗の息子・孫によって立てられた大名家です。先ずは吉宗の次男・宗武を始祖とする「田安徳川家(田安家)」、そして吉宗の四男・宗尹(むねただ)を始祖とする「一橋徳川家(一橋家)」、最後に9代将軍・家重の次男・重好を始祖とする「清水徳川家(清水家)」が御三卿です。この御三卿は、徳川将軍家に後嗣がない場合に、御三家と同じように将軍の後継者を提供したほか、徳川御三家へも後継者を出すことにもなりました。

 

日本の律令官制には「二官」と「八省」が設けられていました。二官は「神祇官(じんぎかん)」と「太政官(だじょうかん)」、八省はそれぞれ「中務(なかつかさ)」、「式部(しきぶ)」、「治部(じぶ)」、「民部(みんぶ)」、「兵部(ひょうぶ)」、「刑部(ぎょうぶ)」、「大蔵(おおくら)」、「宮内(くない)」で、現在の内閣を含む中央官庁のことです。田安家、一橋家、清水家の当主は、八省の長官である「卿」に任じられることがあったことから、御三卿と呼ばれていました。

 

御三卿は、それぞれの屋敷に最も近い城門の名前を通称としており、所領は各10万石、家老をはじめとする役人は幕臣が任じられていました。それぞれの領地は全国に分散していて、独自の代官所によって領地が治めれていました。御三卿は御三家と異なり、独立した藩が置かれていたわけではなく、徳川宗家の家族・身内として認識されており、経済的・社会的に幕府に大きく依存していたとされています。

 

従来、将軍家の後嗣を出す役割を担ってきた御三家ですが、8代将軍吉宗の頃になると、将軍家と御三家との血縁関係が大分疎遠になってきます。吉宗自身も尾張藩主・徳川宗春との対立を踏まえて、御三家とは別に将軍家につながる新たな藩屏を設ける必要があったといわけです。実際に、この御三卿から任じられた将軍としては、11代将軍・家斉と15代将軍・慶喜が一橋徳川家から選ばれています。もっとも慶喜は、血筋としては水戸徳川家であることは、前回説明した通りです。

11代将軍・徳川家斉

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年4月25日 10:30に書いたブログ記事です。

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