おはようございます。時が過ぎるのも速いもので、今日から5月、暦の上では今年は5月5日が立夏で、もう夏の到来といった陽気になっているような気がします。そういえば、このゴールデンウイークは、皆さんどうお過ごしですか? 私はといえば、相変わらず仕事に追われ、連休前半は天気のよい中、家でパソコンや資料とにらめっこでした。連休後半は、家内の母を一時預からなければならず、そのケアもあり、遠出するような時間はなさそうです。時間があれば、江戸散歩にも出かけたいところです。
さて、今回のテーマは「譜代大名」です。「譜代」とは、もともとは「譜第」と表記されていたもので、系統正しく継承してきた者という意味で、それが転じて代々世襲的に主人に奉公する者を指していました。奈良時代にはすでに「譜第」という概念があったようで、これが鎌倉時代以降、武士の間で世襲的に主従関係をもつ家臣を「譜第」としていました。
江戸時代以降、徳川家臣団の中から特に大名に取り立てられた者を「譜代大名」と称しています。徳川家康が豊臣秀吉から関東に移封された際に、主要な譜代の武将に城地を与えて大名格として、徳川家を支えとする藩屏としたことが始まりとされています。それ以外の家臣については、徳川家直轄軍に編成され、それが後の「旗本」、「御家人」となっていきます。
一般に譜代大名は、関ヶ原の戦い以前に徳川家に臣従して取り立てられた大名を指していますが、旗本から加増されて大名(大岡氏など)になった者、或いは陪臣が新たに取り立てられて大名になった者(堀田氏、稲葉氏、柳沢氏、摂津有馬氏、田沼氏など)もいます。また、本来は譜代大名に定義されるべき家柄であっても、徳川家との血縁を考慮されて親藩扱いされる家(鷹司松平家)、或いは本来は外様大名である家でも血縁関係や功績から譜代扱いされていた「願い譜代(譜代格、準譜代)」と呼ばれる者(真田氏、脇坂氏、苗木遠山氏、戸沢氏、肥前有馬氏、堀氏、相馬氏、加藤氏、秋田氏、藤堂氏など)もいました。
譜代と一言でいっても、徳川家に仕えた時期を根拠に分類されています。寛保3年(1743年)に江戸幕府について書かれた『柳営秘鑑(りゅうえいひかん)』では、安祥譜代7家、岡崎譜代16家、駿河譜代のほか、後世追加された家の4種類に分別しています。また、寛永年間(1624年~1645年)に旗本・大久保忠教(ただたか)〔彦左衛門〕によって書かれた家訓書『三河物語』では、安祥譜代、山中譜代、岡崎譜代の3種類に分けられています。最古参とされる安祥譜代は、松平宗家(家康は9代当主)4代・親忠から始まる安祥松平家(家康は6代当主)と親忠の父・信光に仕えた家臣を指しています。山中譜代及び岡崎譜代は、松平宗家7第当主(安祥松平家4代当主)・清康が山中・岡崎を攻略して本領とした時代からの家臣を指します。以下の分類は『柳営秘鑑』によるものです。
安祥譜代:酒井、大久保、本多、阿部、石川、青山、上村
岡崎譜代:井伊、榊原、鳥居、戸田、永井、水野、内藤、安藤、久世、三河井上、安倍、秋元、渡辺、伊丹、屋代、平岩
駿河譜代:板倉、太田、西尾、土屋、森川、稲葉、藤堂、高木、堀田、三河牧野、奥平、岡部、小笠原、朽木、諏訪、保科、土岐、稲垣、一色丹羽、三浦、遠山、加賀、内田、小堀、三河西郷、奥田、毛利、山口、柳生、蜂須賀、増山
後世追加譜代:水谷、本庄、加納、有馬、脇坂
松平一門:大給松平、形原松平、桜井松平、滝脇松平、竹谷松平、長沢松平(大河内松平)、能見松平、久松松平、深溝松平、藤井松平
その他:田沼、間部、三河松井、柳沢
こうした譜代大名の役割として、最も重要なことは、老中・若年寄をはじめとする幕閣の要職に就くことです。江戸幕府は将軍家の家政機関であるという建前上、こうした要職には、一部例外はあるものの、原則として譜代大名以外からは登用しない不文律の慣行として厳格に守られていました。これは外様だけでなく、親藩についても同様に幕政に参加させることはありませんでした。譜代大名のもう一つの重要な役割は、外様大名の監視です。譜代大名と同じ国内に外様大名が置かれている場合、外様大名が参勤交代で江戸にいるとき、譜代大名は必ず国許に残るようにしていたようです。外様大名が1カ国を知行としている場合は、近隣の譜代や親藩がその役割を果たしていました。ですから、譜代大名は、京・大坂の近辺や外様大大名に隣接した場所など全国の要地とされるところ配置されていました。とはいえ、石高はそれほど大きくはなく、井伊彦根藩35万石を筆頭に5万石以下の小大名がほとんどでした。
次回は、「外様大名」に入る前に、譜代と関係のある「十八松平」について紹介しておきたいと思います。
高見澤