東藝術倶楽部瓦版 20180502:14家しかなかった!?「十八松平」

 

おはようございます。連休の谷間のこの2日間、いつものラッシュ時間は普段より空いているようですが、どいうわけか早朝の時間は普段より人が多いように感じます。リックを片手に、器用にスマホをいじくる姿をみると、どうやら登山かハイキングか、朝早くから郊外の山を目指して電車に乗り込んでいるのかもしれません。もちろん座席には余裕をもって座ることができるのですが、混んでいる電車が特に苦手な私としては、普段より混んでいるというだけで、疲れが増してしまいます。

 

さて、本日は前回予告したように、「十八松平」について紹介していきたいと思います。十八松平とは、一般的には徳川家康の出自である「松平氏」の一族のうち、家康の時代までに分家したルーツを持つ松平家の総称のことを指します。一方、江戸時代に、徳川将軍家から公的な文章などで「松平姓」の称号を用いることが許された大名のうち、特に選ばれた18家を指す場合もあり、こちらは「江戸十八松平」と呼んでいます。

 

十八松平の「十八」というのは、「松」の字が「十」、「八」、「公」から構成されていることから「十八公」という意味で付けられた数字で、実際の家の数ではないとする考えもあります。江戸幕府が寛政年間(17891801年)に編纂〔完成は文化9年(1812年)〕した大名や旗本の家譜集『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』には、江戸時代に存続した14家として「松平庶流十四家」が記されています。

 

十八松平は「三河十八松平」とも称されるます。家康の出自である松平家の始祖とされるのが、室町時代初期の三河国の武将・松平親氏です。その孫である三代当主・信光の三男・親忠が四代当主であると同時に、三河国安祥(あんじょう)城の城主となったことから初代「安祥松平家」当主ともなります。この安祥松平家の流れが徳川家宗家になっていくわけです。

初代:親氏(ちかうじ)

二代:泰親(やすちか)、親氏の子

三代:信光(のぶみつ)、泰親(親氏とも)の嫡男

四代(安祥初代):親忠(ちかただ)、信光の三男

五代(安祥二代):長親(ながちか)、親忠の三男

六代(安祥三代):信忠(のぶただ)、長親の嫡男、家康の高祖父

七代(安祥四代):清康(きよやす)、信忠の嫡男、家康の祖父

八代(安祥五代):広忠(ひろただ)、清康の嫡男、家康の父

九代(安祥六代):家康

 

十八松平には、徳川宗家を含む場合もありますが、先ずここでは家康の祖父・松平清康までの庶家に限定した14家(「十四松平」)について紹介していきましょう。

【三代・信光時代の分家】

①竹谷(たけのや)松平家:信光の長男・守家の流れ。三河吉田藩、後に交代寄合(旗本)

②形原(かたのはら)松平家:信光の四男・与副の流れ。丹波亀山藩

③大草(おおくさ)松平家:信光の五男・光重の流れ。旗本、後に断絶

④五井(ごい)松平家:信光の七男・忠景の流れ。旗本

⑤深溝(ふこうず)松平家:忠景の次男・忠定の流れ。肥前島原藩

⑥能見(のみ)松平家:信光の八男・光親の流れ。豊後杵築藩

⑦長沢(ながさわ)松平家:信光の十一男・親則の流れ。越後高田藩、後に改易

【四代・親忠時代の分家】

⑧大給(おぎゅう)松平家:親忠の次男・乗元の流れ。三河西尾藩

⑨滝脇(たきわき)松平家:親忠の九男・乗清の流れ。旗本、後に駿河小島藩

【五代・長親時代の分家】

⑩福釜(ふかま)松平家:長親の次男・親盛の流れ。旗本、後に断絶

⑪桜井(さくらい)松平家:長親の三男・信定の流れ。摂津尼崎藩

⑫東条(とうじょう)〔青野〕松平家:長親の四男・義春の流れ。尾張清洲藩、後に断絶

⑬藤井(ふじい)松平家:長親の五男・利長の流れ。常陸土浦藩、後に出羽上山藩

【六代・信忠時代の分家】

⑭三木(みつぎ)松平家:信忠の次男・信孝の流れ。旗本、後に断絶

 

上記14家のほかに、親忠の長男・親長の流れを汲む「岩津(いわつ)松平家」、同じく親忠の七男・親光の流れを汲む「西福釜(にちふかま)松平家〔鴛鴨(おしかも)松平家〕」、信忠の三男・康孝の流れを汲む「鵜殿(うどの)松平家」などがありますが、いずれも江戸時代に入る前に断絶していることから、これらの家は十八松下に入っていません。一方、大給松平乗元の三男・乗次の流れを汲む「宮石(みやいし)松平家」や家康の生母・伝通院が久松氏の後妻に入った久松家の流れを汲む「久松(ひさまつ)松平家」は十八松平家に入れる場合もあります。こうした十八松平家は譜代大名、または旗本として扱われています。

 

次に江戸十八松平ですが、こちらは譜代大名8家、外様大名10家が次の通り名を連ねています。

【譜代大名8家】

①奥平松平家(武蔵忍藩-美濃加納藩)、②松井松平家(武蔵川越藩)、③戸田松平家(信濃松本藩)、④久松松平家(伊予松山藩-伊予松山新田藩)、⑤鷹司松平家(上野吉井藩)、⑥本庄松平家(丹後宮津藩-越前高森藩)、⑦越智松平家(上野舘林藩-岩見浜田藩)、⑧松平美濃守家(大和郡山藩、柳沢家)

【外様大名10家】

⑨松平加賀守家(前田藩、加賀藩)、⑩松平陸奥守家(伊達家、陸奥仙台藩)、⑪松平薩摩守家(島津家、薩摩藩)、⑫松平長門守家(毛利家、長州藩)、⑬松平官兵衛(筑前守・甲斐守)家(黒田家、筑前福岡藩)、⑭松平安芸守家(浅野家、安芸広島藩)、⑮松平肥前守家(鍋島家、肥前佐賀藩)、⑯松平因幡守家・松平備前守家(池田家、因幡鳥取藩・備前岡山藩)、⑰松平阿波守家(蜂須賀家、阿波徳島藩)、⑱松平土佐守家(山内家、土佐藩)

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年5月 2日 11:01に書いたブログ記事です。

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