おはようございます。本日は、午後からセメント用耐火物研究会で、中国の環境政策と日本企業の中国ビジネスへの影響について講演してきます。環境規制を強く求める一方、実情をよく理解していない規制当局の担当者による過度な規制により、生産に影響が出ている企業も少なくありません。中国の環境規制の実情を紹介するとともに、日本企業として如何に対応していくべきか、何らかの示唆を示すことができればと思います。
さて、本日からは中奥から離れて表に戻り、旗本役の役職について紹介していきたいと思います。今回は「留守居(るすい)」です。
留守居は、江戸幕府以外の諸藩にも置かれていた職制で、諸藩では「江戸留守居役」、「御城使(ごじょうし)」とも呼ばれ、江戸に常駐して幕府と藩の公務連絡や幕府公認の留守居組合を作って他藩との情報交換をすることが主な任務とされていました。今でいうところの外交官といったところでしょう。
一方、江戸幕府においては、老中支配の旗本役で、大奥の取り締まり、奥向き女中の諸門の出入り、諸国関所の女通行手形の管理、将軍不在時の江戸城の留守を守ることが主な役割でした。旗本役としては最高の職位の一つであったことから、万石以上の城主格の待遇を受けていました。例えば次男まで御目見えが許されたり、下屋敷を与えられたりしたことです。
留守居には「大留守居(おおるすい)」、「留守居」、「留守居番」があり、大留守居は常設していたわけではなく、時に門閥の譜代大名が任じられていましたが、元禄14年(1701年)に稲葉正道が老中に転出した後廃止となりました。留守居は「留守居年寄」とも呼ばれ、定員は4~6名で、役高は5,000石、各位に与力10騎、同心50人が付属していました。一時期、小普請組を支配したこともありましたが、宝暦3年(1753年)以降は小普請組は小普請支配に移ります。留守居番は定員5~6人で、役高は1,000石、各位に与力6騎、同心20人が付属し、主に江戸城内の警衛や奥向きのことを管掌していました。留守居と留守居番とは家格は違っていますが、直接的な上下関係はなかったようです。
江戸城本丸のほか、二の丸、西の丸にも留守居、留守居番が置かれていました。西の丸留守居は若年寄支配で役高2,000石、二の丸留守居は若年寄支配で役高700石でした。二の丸留守居、西の丸留守居とも長年勤仕を果たした旗本に対する名所職である反面、本丸留守居とは異なり左遷の意味合いもあったようです。
高見澤