東藝術倶楽部瓦版 20180531:幕府の施設建設・修繕を担う「下三奉行」

 

おはようございます。昨日から降っていた雨も上がり、今朝の東京都心は比較的空気が澄んでいます。とはいえ、やはり東京ですから、何かと問題のある大気環境であることは間違いありません。今日で5月も終わり、明日からは6月。いよいよ梅雨も近づいている気配を感じるこの頃です。

 

さて、本日は「下三奉行(したさんぶぎょう)」についてお話ししてきたいと思います。下三奉行とは、「作事奉行(さくじぶぎょう)」、「普請奉行(ふしんぶぎょう」、「小普請奉行(こぶしんぶぎょう)」の三つの奉行を指します。江戸時代においては、いずれも江戸城をはじめとする幕府の施設の建築・修繕を担当する役職でした。今でいえば、国土交通省の旧建設省にあたる部門でしょうか。以下、それぞれについて紹介していきましょう。

 

先ずは作事奉行です。作事奉行は鎌倉時代や室町時代にもその職名がみられ、殿舎の造営や修理、土木事業などを司っていました。元々は常設の職制ではなく、工事の都度任命されていたようです。江戸幕府においては、寛永9年(1632年)に佐久間実勝(さくまさねかつ)、神尾元勝(かみおもとかつ)、酒井忠知(さかいただとも)の3名を任じて諸職人をその管下に置いて以降、常置の職位となりました。作事奉行は老中支配の旗本役、役高は2,000石で、定員は2~3名です。うち1名は宗門改、もう1人は一時期鉄砲改を兼帯していました。作事奉行を無事に務めあげると、大目付・町奉行・勘定奉行への昇進の道もあったようです。

 

作事奉行の主な担当は殿舎や社寺等の築造・修繕の中でも特に木工工事が専門で、大工・細工・畳・植木などを統括、下役として大工頭、京都大工頭、作事下奉行、畳奉行、細工所頭、勘定役頭取、作事方被官、瓦奉行、植木奉行、作事方庭作などの役がありました。作事奉行設置の当初は、幕府に係る土木・建築のすべてがその管掌下でしたが、普請奉行・小普請奉行の設置後は三者で分掌するようになり、作事奉行は専ら殿屋の建築のみを担当するようになります。

 

正徳2年(1712年)に小普請奉行が解任されると、しばらくはその職務を兼帯していましたが、享保2年(1717年)に小普請奉行が再び配置されると職務を小普請奉行と再度分割します。作事奉行は江戸城本丸・西の丸、櫓、内郭・外郭の門塀、寛永寺諸堂・社を管掌するようになりました。文久2年(1862年)、普請・小普請の両奉行廃止後は両方とも作事奉行の配下に属しました。

 

次に普請奉行です。普請奉行の職名は室町時代にもみられ、当時は御所、城壁、堤防などの修築と庭中掃除の役を兼ねており、「庭奉行」とも呼ばれていました。「普請」とは、元々仏教用語で、広く大衆に労役に従事してもらうとの意味があったようです。江戸時代においては「御普請奉行」とも呼ばれ、定員は概ね2名、老中支配の旗本役で役高は2,000石でした。

 

普請奉行が創設されるのは寛永9年(1632年)ですが、定役となるのは承応元年(1652年)のことです。主な職務は城の石垣、堀普請、地形(じぎょう)、縄張(なわばり)、屋敷割などの土木関連事業ほか、明和5年(1768年)以降は上水方・道方御用も管掌するようになりました。属僚として普請方下奉行、普請方改役、普請方、普請方同心、普請方定小屋門番人などがありました。文久2年(1862年)に普請奉行は廃止され、その職責は作事奉行に引き継がれました。

 

最後に小普請奉行です。小普請奉行は若年寄支配の旗本役で、定員は2名、役高は2,000石でした。小普請奉行は、貞享2年(1685年)に「御破損奉行(小普請奉行)」の組頭として小菅伊右衛門(こすげいえもん)を「小普請方頭」に任じたのが始まりで、元禄14年(1701年)に小普請方頭を小普請奉行とし、御破損奉行を小普請方と改称して、名実ともに小普請奉行が誕生しました。

 

小普請奉行の職務は江戸城内外、御内府の幕府管下の建造物や寺社等の営繕の管掌です。配下には小普請方、小普請改役、小普請吟味役などが設けられていました。正徳2年(1712年)に小普請奉行2名が解任され、享保2年(1717年)に再置されると、作事方と小普請方とのでそれぞれの担当箇所が決められます。本丸・西の丸の大奥、二の丸、三の丸、浜御殿、紅葉山東照宮、紅葉山御霊屋、寛永寺、増上寺、品川東海寺、池上本門寺、伝奏屋敷などの普請・修復でした。また、所要物品の調達にあたる「元方(もとかた)」と、調達品の受け取り・配分にあたる「払方(はらいかた)」とに分かれていました。小普請奉行も普請奉行同様に文久2年(1862年)に廃止、その職責は作事奉行に引き継がれました。

 

高見澤

2018年6月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年5月31日 09:11に書いたブログ記事です。

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