東藝術倶楽部瓦版 20180622:駿府の町政を司る「駿府町奉行」

 

おはようございます。そういえば、昨日は夏至、1年で最も昼間が長い日でした。本日、東京は梅雨の合間の晴れ間が広がるようですが、週末からはまた雨日和になりそうです。外出しようにも、仕事が溜まっており、この週末も家でのんびりと寛ぐヒマもありません。

 

さて、本日は「駿府町奉行(すんぷまちぶぎょう)」について紹介したいと思います。駿府町奉行も遠国奉行の一つで、駿府の町(現在の静岡市)の町政、民政、司法など行政全般にわたる業務を取り扱っていました。駿府の町については、すでに駿府城代のところで説明していますので、ここでは省略致します。

 

駿府町奉行も他の遠国奉行と同様に老中支配の旗本役で、役高1,000石、役料500俵、役金1,500両でした。慶長12年(1607年)、徳川家康の駿府移徙(わたまし)の際に設置されましたが、徳川頼宣、忠長の城主時代は廃止、寛永9年(1632年)に忠長が改易されると駿府は幕府直轄地となり、駿府町奉行は常置の職制となります。奉行所は、駿府城大手御門前(現在の静岡市役所北西隅)に設置されていました。

 

駿府町奉行の定員について、家康時代は「横内組町奉行」と「大手町奉行」の2名で、寛永9年の常置以降も引き続き2名体制を維持、元禄15年(1702年)に横内組町奉行を廃止して1名役として改められました。配下には与力8騎、同心60名、主水50名が配されていました。明治元年(1866年)までに旗本を中心に63名が駿府町奉行に任命されています。

 

主な職務は駿府の町政全般、裁判、城下の警備、府中宿の管理など、駿府の町民生活に直接係る広範囲な業務のほか、駿河国内の天領の公事方を扱っていました。駿府在勤とはいえ駿府城代の支配下にはありませんでしたが、駿府城代と協議して駿府を通行する諸大名・諸士の密察、駿河・伊豆の裁判仕置、久能山東照宮の警護も駿府町奉行の役務となっていました。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年6月22日 06:57に書いたブログ記事です。

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