東藝術倶楽部瓦版 20180709:江戸時代の外務大臣-「外国奉行」

 

おはようございます。西日本を中心に豪雨による被害が広がっています。東京は今のところ大雨による被害はほとんどないようですが、こうした事態はいつどこに起きても不思議ではありません。先週末にも千葉で震度5弱の地震がありました。東京も震度3を観測、揺れている時間が長く感じられました。

 

さて、前回は神奈川奉行のところで、神奈川奉行を一時期兼任していた「外国奉行」について触れましたが、本日はこの「外国奉行」について紹介したいと思います。この外国奉行ですが、幕末に新たに設けられた役職の一つで、外交を専門に担当していました。

 

安政5年(1858年)の日米修好通商条約の締結に伴い、それまで条約締結交渉に当っていた「海防掛(かいぼうがかり)」を廃して、この外国奉行が設置されることになりました。外国奉行は老中支配の旗本役で、遠国奉行の一つとする説もありますが、実際の席次は遠国奉行の上座とされています。役高は2,000石、年間の給金として300両が支給されていました。海防掛については、また改めて説明します。

 

最初に外国奉行に任じられたのは、海防掛として日米修好通商条約の締結交渉の全権を任されていた井上清直(いのうえきよなお)と岩瀬忠震(いわせただなり)に、水野忠徳(みずのただのり)、永井尚志(ながいなおゆき)、堀利熙(ほりとしひろ)を加えた5名です。この中で安政6年(1859年)に神奈川奉行を兼務することになったのは水野忠徳と堀利熙です。以後、明治元年(1868年)に幕府倒壊によって廃止されるまで外国奉行の職は続きます。

 

外国奉行の定員は不定で月番制、配下には支配組頭、支配調役、支配調役並、定役、同心があり、「外国方」という機関を形成していました。外国方の中に「御書翰掛(おんしょかんがかり)」という重要機関があり、そこには調役、通弁方、翻訳方、書物方などの役職が置かれ、外国からの文書の翻訳や外国との交渉、外国への文書作成などを行っていました。現在の外務省に相当する機関で、外国奉行は外務大臣といったところでしょうか。

 

文久2年(1862年)に外国奉行の補佐役(次席)である「外国奉行並(がいこくぶぎょうなみ)」も置かれ、年々外国奉行の数が増えていったために、それを統括するため、慶応3年(1867年)に外国事務総裁職として若年寄格の「外国惣奉行(がいこくそうぶぎょう)」が設置されます。しかし、これも翌年の幕府崩壊とともに廃止されました。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年7月 9日 07:39に書いたブログ記事です。

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