東藝術倶楽部瓦版 20180713:旗本役の最高位の一つ-「御三卿家老」

 

おはようございます。今朝も朝から暑いです。昨晩の帰宅は11時、帰宅後何もせずに1115分に寝て今朝起床したのが4時15分。ここ何か月間は毎日がこのようなサイクルで職場に通っています。週末に多少睡眠時間が増えますが、ほぼパソコンや資料とにらめっこの状態です。こんな生活がいつまで続くのでしょうか?

 

さて、本日は「御三卿家老」について紹介したいと思います。御三卿については、すでに紹介済みですが、少しおさらいをしておくと、8代将軍・吉宗の息子・孫によって立てられた大名家で、田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家を指しています。将軍家と御三家との血縁関係が疎遠になったこともあり、将軍家とつながる新たな藩屏が必要になり、御三卿が立てられることになったのです。

 

幕府から各家の当主に10万石が支給されていましたが、御三家と異なり領地は日本各地に分散、領地の実効支配は幕府に委ねられ、独自の代官所によって行われていました。御三卿は、独立した別個の「家」ではなく、将軍家(徳川宗家)の家族・身内という位置付けで、社会的にも経済的にも将軍家に大きく依存しているのが実態でした。

 

家中運営のための家臣についても、幕府から主に旗本等の幕臣が派遣されていました。その家臣の筆頭が御三卿家老です。幕府の職制としては、江戸城留守居や大番頭とともに旗本役の最高位として位置付けられた重職でした。2,0003,000石の旗本から選抜され、役料として2,000俵が支給されていました。慶応3年(1867年)からは役金として月割800両が支給されました。

 

御三卿の初代家老には、幕臣から次の通り1家2名が任じられています。〔 〕内は家老に任じられる前の職です。

 

田安徳川家:享保14年(1729年)閏9月

 森川俊勝〔西城新番頭〕

 伏屋為貞〔先手頭〕

 

一橋徳川家:享保20年(1735年)9月

 建部広次〔先手頭〕

 山本茂明〔小納戸〕

 

清水徳川家:宝暦7年(1757年)5月

 村上義方〔小納戸〕

 永井武氏〔簾中御方御用人〕

 

高見澤