東藝術倶楽部瓦版 20180727:将軍直衛の弓隊・鉄砲隊-「持組」

 

おはようございます。昨日、オウム事件の死刑囚6名の刑が執行されました。先日の7名と合わせ、計13名全員の死刑執行が完了したことになります。死刑囚のほとんどは贖罪の思いを抱え、刑の執行の日を迎えたことと思います。洗脳されていたとはいえ、行動する前に少し踏み止まって考えればこんなことにはならなかったのでしょうが、これもまた人の意思の弱さにつけ込む悪しき想念の仕業なのかもしれません。常に自分というものを強く意識していることが大切です。

 

さて、本日は「持組(もちぐみ)」について紹介したいと思います。持組とは、将軍の弓や鉄砲を持つ部隊という意味から、将軍直衛の弓隊・鉄砲隊のことを指します。持組には鉄砲隊である「持筒組(もちづつぐみ)」と弓隊の「持弓組(もちゆみぐみ)」がありました。

 

持組は元和9年(1623年)に斎藤與三右衛門三存ほか3名が持組頭に任じられたのがその始まりとされていますが、持筒組が慶長12年(1607年)、持弓組が元和元年(1615年)にそれぞれ設置されたとの説もあります。いずれにせよ、設置当初は持筒組が3組、持弓組が1組でしたが、寛永元年(1624年)に持弓組2組、寛永9年(1632年)に持筒組1組がそれぞれ追加され、持筒組4組、持弓組3組がそれ以降定着しました。

 

持筒組、持弓組の各組は持之頭(御持筒頭、御持弓頭)の下、与力10騎、同心50名で構成されていました。同心は正徳期(1711年~1716年)に55名に増員されたとも言われています。

 

持組の平時の任務は江戸城本丸中之門、西の丸中仕切門、二の丸銅門等の警備です。慶安3年(1650年)に持筒組及び持弓組のうち各1組は西の丸付となったようです。本丸中之門には鉄砲25丁、弓25張が備えられていました。戦時には将軍護衛の役を担っていました。

 

持筒組の長である「御持筒頭(おもちづつがしら)」は若年寄支配、役高は1,500石、布衣でした。一方の持弓組の長である「御持弓頭(おもちゆみがしら)」も同様に若年寄支配、役高は1,500石、布衣でした。

 

文久2年(1862年)に持弓組、慶応2年(1866年)に持筒組がそれぞれ廃止されています。

 

高見澤

2018年7月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

このブログ記事について

このページは、東藝術倶楽部広報が2018年7月27日 07:35に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「東藝術倶楽部瓦版 20180726:徳川将軍家の親衛隊-「鉄砲百人組」」です。

次のブログ記事は「東藝術倶楽部瓦版 20180730:先陣を務める「先手組」」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ