東藝術倶楽部瓦版 20180730:先陣を務める「先手組」

 

おはようございます。昨週末の台風はこれまでにない異例のコースをたどって、三重県に上陸、その後西進して今は九州付近を南寄りに進んでいるようです。被害の全貌もまだ分かっていないばかりか、九州の西海上で停滞する可能性もあり、長時間暴風雨に曝され被害が更に拡大する危険性があります。異例ずくめの今年の天候、これから先も予断が許されません。

 

さて、本日は「先手組(さきてぐみ)」について紹介したいと思います。先手組は江戸幕府の軍制の一つで、職制上は若年寄支配、治安維持の役割を担っていました。

 

「先手(さきて)」とは先陣、先鋒といった意味であり、戦時には徳川家の先鋒足軽隊を務め、徳川家創成期には弓足軽・鉄砲足軽を編制して合戦に参加していました。江戸時代に入り合戦がなくなくと、先手組は江戸城の各門(蓮池、平川、下梅林、紅葉山下、坂下)の警備、将軍外出時(寛永寺、増上寺参詣)の警護、江戸城下の治安維持などが主な職務となります。また、諸大名の依頼を受けて願達を取り次ぐ場合もあったようです。

 

江戸城下の治安維持については、組のうちの1組が「火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)」として、江戸市中の防火と警察の役を果たし、その長官は先手頭1名が「加役」として兼務していました。同じように江戸城下の治安維持にあたっていたのが町奉行ですが、町奉行は役方(文官)であり、先手組は番方(武官)であることから、組与力や組同心の取り締まりは町奉行所の与力、同心に比べ極めて荒っぽかったようです。

 

この先手組は持組と同様に弓組と鉄砲組から編制されており、戦場においては名前通り先陣を務めるのが常でした。この起源は戦国大名まで遡ることができ、定員は時代によって異なりますが、記録によれば、寛永9年(1632年)に弓組10組、筒(鉄砲)組15組が置かれ、その後弓組9組、筒組20組となり、これとは別に西の丸にも弓組2組、筒組4組が置かれていたようです。

 

1組の構成は、「先手頭(さきてがしら)」1騎、与力が5~10騎、同心が3050名からなっていました。先手頭は「先手弓頭(御先弓頭、総御弓頭)」と「先手鉄砲頭(御先筒頭、総御鉄砲頭)」とを併称した職名で、若年寄支配、役高1,500石、布衣でした。先手頭は各大名家の「御頼みの旗本衆」とされ、幕府との事前打合せや報告同行等を務めるため、由緒ある旧家の者が任命されていました。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年7月30日 10:18に書いたブログ記事です。

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