おはようございます。台風13号の影響が心配されていたところですが、台風の進路が少し東側にずれたおかげで、東京都心はあまり大きな被害は出なかったようです。それでも千葉県や茨城県の一部が暴風域にありますので、まだまだ予断は許しません。それから今朝は話題をもう一つ。沖縄県の翁長雄志知事が亡くなりました。享年67歳、普天間基地の移設問題で日本政府と対立を続けてきた翁長知事の死もまた、今の日本を象徴しているように思えてなりません。
さて、江戸幕府の主な役職については一通り紹介してきました。他にもたくさんの役職がありこれを続けていると、正直言ってきりがありません。そろそろ次のシリーズに移りたいと思いますが、その前に、「武家の家格」について少し捕捉説明しておきたいと思います。江戸幕府の役職を決定する際に、家格が大きく係っていたことは、これまでも説明してきた通りです。
「家格」とは、読んで字の如く「家」の「格」を指します。大よそ人類社会が築かれてからその権威と役割によって身分制が敷かれ、その社会の秩序を維持するために制度化された評価体系ともいうべきものでしょうか。古代中国においては、紀元前1900年頃には「夏(か)王朝」の存在が認められており、その頃にはすでに身分制度があり、商(殷)、周と時代が下るに従って家格のようなものが次第に形成されていったものと思われます。
一方、日本においても天皇を中心とした政治体制が固められていく中で、同様に家格体系が構築されていったと考えられます。日本において家格に対する考え方が定着するのは、平安時代中頃の貴族の間であったと考えられます。古代の律令国家時代の官僚制度が職業として存在していましたが、その頃から特定の家柄の人たちによって代々世襲されるようになり、それが家格として定着していったものと思われます。
これが戦国時代から江戸時代になると、武家の家格ということで、武士の任官と深くかかわってきます。江戸時代の大名や直参は官位、知行国の石高、江戸城内の伺候席などで厳しく統制・区別されていたことは、これまでの数々の紹介からもご理解いただけたかと思います。次回以降、具体的にそれぞれの家格を示す制度について紹介していきましょう。
高見澤