おはようございます。今朝の東京は曇り、昨日は午後と夕方以降に雨の予報で、午後に日本橋にある三井不動産本社を訪問したのですが、幸いにも雨に降られることなく、無事事務所まで帰ることができました。今日はこれから晴れていくようです。明日は、早朝から朝食懇談会に出席するため、瓦版もお休みさせていただきます。
さて、本日は「武家官位」の具体的な中身について紹介したいと思います。武家官位のうちの「位階」について、上から順に「一位」から「六位」まであり、それぞれに「正」と「従」があります。また、正四位以下にはそれぞれ「上」と「下」に分けられています。具体的には以下の通りです。
正一位 → 従一位
正二位 → 従二位
正三位 → 従三位
正四位上 → 正四位下 → 従四位上 → 従四位下
正五位上 → 正五位下 → 従五位上 → 従五位下
正六位上 → 正六位下 → 従六位上 → 従六位下
この位階に相応する官職があります。例えば次の通りです。
正一位:関白
従一位:太政大臣
正二位:左大臣、右大臣
従二位:内大臣、蔵人別当(くろうどべっとう)
正三位:大納言、権大納言(ごんだいなごん)
従三位:中納言、権中納言、弾正尹(だんじょういん)、
左近衛大将(さこのえたいしょう)、
右近衛大将(うこのえたいしょう)、
太宰帥(だざいそち)
正四位上:中務卿(なかつかさきょう)
正四位下:参議、式部卿(しきぶきょう)、治部卿(じぶきょう)、
民部卿(みんぶきょう)、兵部卿(ひょうぶきょう)、
刑部卿(ぎょうぶきょう)、大蔵卿、宮内卿
上記の官職は、学校の歴史の教科書にも出てきたものも少なくありません。時代劇等でみられる「○○頭(○○のかみ)」や「○○守(○○のかみ)」というのは従五位相当の官職になります。
江戸時代、大名に与えられた位階は、鎌倉以降の宮中の武官の家格とされた「羽林家(うりんけ)」に倣い、一般の大名は従五位下(諸大夫)、特に家格が高い大名は従四位下(四品)でした。明治時代に編纂された徳川幕府の儀礼・規制関係の資料集『徳川礼典録』によると、初めて与えられる位階が従四位下以上の大名家は34家、及び初めての位階が従五位下で家督後数年で従四位下、後に「侍従(従四位下)」となる14家を合わせて「官位特格48家」としています。上記34家には、徳川御三家、伺候席が溜の間三家、国持大名20家、準国持1家、徳川家庶流4家、その他3家があり、14家には準国持2家、外様3家、徳川家一門5家、譜代4家があります。
このように、初めて与えられる位階は家格によって決まっていましたが、位階を受けた後に「極位(きょくい)」というその家としては最高の位階を受けることで、家格が上下することもあります。例えば、将軍家は従二位、御三家・御三卿・加賀前田家は従三位、加賀前田家家督は正四位上、会津松平家・越前松平家は正四位下、従四位上は島津家・伊達家・高家(旗本)、その他国持・準国持等は従四位下などです。ちなみに、四位以上になると御所昇殿が叶うことになります。また、以前にも紹介しましたが、旗本が位階を授けられる場合は武家官位の最下位である正六位相当の布衣となります。
こうした位階から幕府の主な役職の官職が分かってきます。将軍は左・右大臣や右近衛大将、御三家のうち尾張家と紀伊家は大納言や権大納言(亜門)、水戸家は中納言や権中納言(黄門)、加賀前田家は参議、御三卿は式部卿や刑部卿、会津松平家と島津家及び伊達家は左近衛中将(さこのえちゅうじょう)などです。これらはいずれも極位です。
家格によって上記のような位階と官職が官位として授与されるとともに、官位の変動によって家格もまた変わってくることになります。
高見澤