おはようございます。台風20号がまた大きな被害をもたらしているようです。東京都心は、天気予報では昨日夕方から雨の予報でしたが、実際に降り出したのは夜半のようで、帰宅した10時前はまだ降り始めてはいませんでした。今朝の東京都心は雨、高台では比較的強い風も感じられます。この後、昼にかけて雨は止むとの予報です。
さて、本日は前回に続いて伺候席の続きを紹介していきましょう。
今回は帝鑑間からです。帝鑑間は、主に譜代大名が詰める場所ですが、宍戸藩松平氏や広瀬藩松平氏等の親藩、松代藩真田氏のような御願譜代等もこの席となっていました。
柳間については、位階が五位及び無官の外様大名、交代寄合、表高家、その他寄合衆が詰める部屋です。準国持大名でも五位の間は柳間に詰め、四品に昇進すると大広間に移るのが慣わしで、嫡子もこれに同席していました。
雁間は、江戸幕府成立後、能力や功績で取り立てられた譜代大名のうち、城主格の者が詰める部屋です。老中や所司代の世子もこの席に詰めていました。ここに詰める大名は「詰衆(つめしゅう)」と呼ばれ、他の席の大名と異なり、交代で毎日登城することになっていました。
菊間広縁は「菊間縁頬(きくまえんきょう)」ともいい、江戸幕府成立後、新たに取り立てられた大名のうち、2万石以下の無城の者が詰める席となっていました。ここに詰める大名は「詰衆並(つめしゅうなみ)」とも呼ばれていました。
「菊間(きくのま)」は雁間大名の嫡子の席として、菊間以下の伺候席に大名当主が詰めることはありませんでした。また、大番頭、書院番頭、小姓組番頭、旗奉行、槍奉行、持弓頭、持筒頭、鉄砲百人組頭等の幕府直属の軍司令官の詰所でもありました。
番方の詰所に対して、町奉行、勘定奉行、大目付、遠国奉行、下三奉行等の幕府中枢の上級役人の詰所となっていたのが、「芙蓉間(ふようのま)」です。
高見澤