東藝術倶楽部瓦版 20180824:旗本にも役職に応じた伺候席があった「伺候席」その二

 

おはようございます。台風20号がまた大きな被害をもたらしているようです。東京都心は、天気予報では昨日夕方から雨の予報でしたが、実際に降り出したのは夜半のようで、帰宅した10時前はまだ降り始めてはいませんでした。今朝の東京都心は雨、高台では比較的強い風も感じられます。この後、昼にかけて雨は止むとの予報です。

 

さて、本日は前回に続いて伺候席の続きを紹介していきましょう。

今回は帝鑑間からです。帝鑑間は、主に譜代大名が詰める場所ですが、宍戸藩松平氏や広瀬藩松平氏等の親藩、松代藩真田氏のような御願譜代等もこの席となっていました。

 

柳間については、位階が五位及び無官の外様大名、交代寄合、表高家、その他寄合衆が詰める部屋です。準国持大名でも五位の間は柳間に詰め、四品に昇進すると大広間に移るのが慣わしで、嫡子もこれに同席していました。

 

雁間は、江戸幕府成立後、能力や功績で取り立てられた譜代大名のうち、城主格の者が詰める部屋です。老中や所司代の世子もこの席に詰めていました。ここに詰める大名は「詰衆(つめしゅう)」と呼ばれ、他の席の大名と異なり、交代で毎日登城することになっていました。

 

菊間広縁は「菊間縁頬(きくまえんきょう)」ともいい、江戸幕府成立後、新たに取り立てられた大名のうち、2万石以下の無城の者が詰める席となっていました。ここに詰める大名は「詰衆並(つめしゅうなみ)」とも呼ばれていました。

 

「菊間(きくのま)」は雁間大名の嫡子の席として、菊間以下の伺候席に大名当主が詰めることはありませんでした。また、大番頭、書院番頭、小姓組番頭、旗奉行、槍奉行、持弓頭、持筒頭、鉄砲百人組頭等の幕府直属の軍司令官の詰所でもありました。

 

番方の詰所に対して、町奉行、勘定奉行、大目付、遠国奉行、下三奉行等の幕府中枢の上級役人の詰所となっていたのが、「芙蓉間(ふようのま)」です。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年8月24日 07:13に書いたブログ記事です。

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