東藝術倶楽部瓦版 20180904:江戸町奉行所の事務方

 

おはようございます。今朝の東京都心は小雨が降ったり止んだりの天気です。台風21号の上陸が予想されている西日本を中心に、東海地方など特に東側の地域では暴風雨に警戒が必要です。関東でも場所によっては大雨が予想されています。

 

さて、本日からは「江戸町奉行所の職務」について紹介していきたいと思います。今回は、江戸町奉行所の「事務方」について説明しましょう。町奉行所の各組織の基本は、町奉行の下は「与力-同心」で構成されていました。ただ、町奉行が直接同心を支配する場合も少なくありません。町奉行所の職務には、恒常的に行われる常設職と「出役(しゅつやく)」と呼ばれる臨時職がありました。

 

先ず紹介したいのは、町奉行の秘書官としての役割を担っていた「内与力(うちよりき)」です。一般に町奉行所の与力や同心は表向き一代限りの抱席でしたが、実際には新規採用ということで世襲されていたことは、これまで紹介してきた通りです。つまり、町奉行所の職員として町奉行個人に関わりなく業務に就いていたわけですが、この内与力は町奉行個人の家臣の中から選任した与力で、主人が町奉行を退くときは同時に内与力も退くことになっていました。とはいえ、ちゃんとした町奉行所の役職ですから、在任中は幕府から俸禄を受ける幕府勤番の幕臣の身分でした。公用人(執事役)6名と目安方(民事訴訟の調査役)4名の10名がおり、側用人、留守居、使番、右筆の役目を兼務していました。玄関脇の詰所に勤務し、挨拶取次も行っていました。出勤の供廻りとして槍持ち、草履取、挟箱(はさみばこ)、中間が従っていました。

 

内与力に所属する同心が「用部屋手付同心(ようべやてつきどうしん)」です。内与力について雑務をこなすほか、刑事事件の調査報告書の作成を行っていました。定員は10名でした。

 

町奉行所で最も重要な任務とされていたのが「年番方(ねんばんがた)」で、年番方与力は「同心支配役与力(どうしんしはいやくよりき)」とも呼ばれていました。当初は交代制でしたが、後に古参の有能な与力から選任されるようになり、町奉行所の事務全般から各種の取り締まり、闕所金(けっしょきん、没収された貨幣及び財産の売却金)の保管・出納、与力・同心各組の指導・監督、同心分課の任免、臨時事項の処理などを行っていました。年番方与力の定員は3名で、その下に「年番方同心」6名、「年番方物書同心」2名がいました。

 

町奉行所の庶務や受付を担っていたのが「当番方(とうばんがた)与力」です。分課のない与力3名が3交代で宿直して勤務しており、夜間でも受付が可能でした。主に新人与力が起用されることが多く、先ずはこの職に就いて与力としての仕事を学んでいったそうです。このほか、お白州で奉行が裁判する際の陪席や、捕物や検使の際の出役も当番方与力が担当していました。出役の時には、与力1騎につき同心3名が付き従ったそうです。当番方与力の支配下には、「当番方同心」として「年寄同心」3名、「物書同心」3名、その他「平同心」すべてが所属していました。

 

町奉行所の事務方に、「両組姓名掛同心(りょうぐみせいめいがかりどうしん)」という職務がありました。この同心の職務には与力は関与せず、町奉行が直接支配していました。この主な職務は南北奉行所の与力・同心の名簿の編纂と管理で、親任・退任等人事の姓名帳への記載をしていました。定員は同心1名でした。

 

次回は裁判関係の職務について紹介したいと思います。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年9月 4日 07:21に書いたブログ記事です。

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