東藝術倶楽部瓦版 20181009:黒色火薬の主原料・硝石の監視役「硝石会所見廻り方」

 

おはようございます。この3連休もあっという間に過ぎてしまい、また新たなウイークデイが始まりました。その間に、米国ポンペオ国務長官の北朝鮮訪問、中国でのICPO総裁・孟宏偉氏の突然の拘束、ハイチでのM5.9の地震、ノーベル経済学賞の発表など、世界ではいろいろなニュースが駆け巡っています。こうしたニュースが意味するところが何なのか、いずれ「時」がその真実を明らかにしてくれるでしょうが、それを分かるよう努めないと、益々生き難い世の中になるだけかもしれません。

 

さて、本日は、「硝石会所(しょうせきかいしょ)見廻り方」について紹介したいと思います。

 

「硝石(しょうせき)」とは、硝酸塩鉱物の一種で、化学物質としては「硝酸カリウム(KNO3)」のことです。硝酸カリウムはエジプト、アラビア等の砂漠地方では天然に産出されますが、通常は合成によるものが大部分を占めています。窒素化合物でもあることから、昔から肥料や染料の原料として使われてきました。また、食中毒の原因となるボツリヌス菌等細菌の繁殖を抑える効果があることから、昔から防腐剤・発色剤など食品添加物の「亜硝酸塩」としても利用されてきています。

 

このほか、硝石が重要視されたのは、それが「黒色火薬」の主原料であったからです。黒色火薬は木炭と硫黄に酸化剤として硝石を混ぜることで出来上がる火薬です。雨の多い日本では天然の硝石がとれることはなく、もっぱら「古土法」と呼ばれる古い家屋の床下の土から硝石を抽出する方法がとられていましたが、生産量としてはそれほど多くはありませんでした。

 

一方、富山県の西南端にある「五箇山(ごかやま)」では、天然の草と蚕の糞から硝石を製造する「培養法」が開発されていました。この方法は、古土法よりも効率よく硝石が製造できたために、後に五箇山を支配した加賀藩によって秘匿とされてきました。

 

硝石製造の利点が活かされたのか、江戸市谷の加賀屋敷に「硝石会所」が設けられ、江戸近郊で製造した硝石はこの硝石会所に集められていました。硝石会所へは、鉄砲玉薬支配向きの者が出張して硝石製造法を取り仕切っていたので、その監視役として置かれていたのが「硝石会所見廻り与力」とその配下の「硝石会所見廻り同心」でした。定員は与力が南北奉行所それぞれ1名、同心がそれぞれ2名でした。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年10月 9日 19:47に書いたブログ記事です。

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