おはようございます。米国では、いよいよ中間選挙が始まりました。米国大統領の任期は4年、2期8年までしか大統領を務めることができますが、中間選挙は大統領の任期の2年目に行われる連邦議会の議員を選ぶ選挙のことを指します。今回の中間選挙では上院の三分の一、下院のすべての議席の改選が行われ、トランプ大統領が所属する共和党が過半数を維持できるか否かが焦点です。早ければ、本日の午後にでも大勢が判明するとのことですが、結果はどうでしょうか?
さて、本日は「江戸町地割役(じわりやく)」について紹介したいと思います。江戸町地割役とは、江戸の町の「地割」や「地渡し」の際の測量を担当する町役人のことを指します。
江戸の町方の測量については、当初は江戸町奉行所の依頼によって、大工頭の「木原内匠(たくみ)」が担当していましたが、依頼件数が急増したことから、木原内匠の下で働いていた町役人たちを町方で引き取ることになりました。木原内匠からその役割を引き継いだのが、内匠の親戚筋にあたる木原勘右衛門でしたが、宝永7年(1710年)に三代目の与右衛門が不行跡により解任されてしまいます。
木原与右衛門に代わって地割役を務めることになったのが、日本橋の名主であった樽屋三右衛門(たるやさえもん)です。樽屋といえば、以前紹介した町年寄の一家ですが、三右衛門の先祖は町年寄樽屋の先祖である樽三四郎の次男・惣兵衛だとのことです。三右衛門は日本橋南通一丁目新道にあった木原の居宅を拝領して業務にあたりました。木原の居宅も実は幕府から与えられたものでした。江戸町地割役は、これ以降、樽屋の分家として当主は代々三右衛門を名乗って、名主役の樽屋とは分離していき、明治2年(1869年)に廃止されることになります。
江戸町地割役は、拝領された屋敷地を経営して、その地代収入によって職務遂行の経費を賄っていました。樽屋の屋敷は、日本橋の拝領屋敷のほかに、須田町二丁目代地にもあって、地代収入は年200両(明治2年)にものぼっていたそうです。ただ、検分のための出張者の派遣、役人の給金、筆墨紙などの諸経費はかなりの額になっていたとの報告がみられます。
江戸町地割役の主な職務は、地面の区画調査・測量、屋敷の受け取り・受け渡し業務(町奉行所の役人や町年寄とともに立ち会い)のほか、出火場の検分なども担当していました。
高見澤