東藝術倶楽部瓦版 20181112:江戸の消防組織-「火消

 

おはようございます。今月25日、北京で「日中省エネ・環境総合フォーラム」が開催されます。私の所属する組織もその主催者の一人になっており、これまた総動員体制でこの大イベントに臨んでいます。私自身、そのイベントの前に自動運転の調査事業で深圳に入り、その足で北京に赴き、フォーラムに参加することになります。日数的には5泊6日ですが、香港経由ということもあって移動距離は思っているほど短くはないようです。

 

さて、本日からしばらくの間は江戸の消防組織、「火消(ひけし)」について紹介していきたいと思います。江戸時代において、火消というのは、江戸の消防組織とそれに加わる構成員のことを指していました。

 

「火事と喧嘩は江戸の華(花)」ともいわれるように、とにかく江戸では頻繁に火事が起きていました。江戸幕府開幕当初の慶長6年(1601年)から幕府最後の慶応3年(1867年)までの267年間で、大火事だけで49回、小さなものも含めると1798回の火事が発生したとの研究報告もあります。

 

江戸時代初期には、まだ火消の制度が確立されていませんでしたが、度重なる出火を契機に、先ずは大名を中心とした「武家火消(ぶけびけし)」が制度化され発展していきました。江戸時代中期には、享保の改革によって「町火消(まちびけし)」が制度化され、江戸時代後期以降はこの町火消が江戸の消防活動の中核を担うようになります。

 

江戸時代の消防組織としては、武士によって組織された武家火消、町人によって組織された町火消の二つに大きく分かれますが、武家火消には大名に課役として命じられた「大名火消(だいみょうびけし)」と、幕府直轄で旗本が担っていた「定火消」に分けられます。定火消については、すでに江戸幕府の役職で詳細に説明したので、本シリーズでは特に説明しませんが、次回以降、それぞれの消防組織について紹介していきたいと思います。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年11月12日 08:05に書いたブログ記事です。

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