東藝術倶楽部瓦版 20181220:火事による江戸経済への影響

 

おはようございます。今年も残すところあと10日余り。とにかく仕事に追われ、慌ただしく過ぎた1年でした。この1年、自分自身成長があったのかはよく分かりませんが、何かと矛盾が多いこの社会で、真面目にこつこつと生きてきたものだと、褒めてやりたい気持ちにもなります。結果は結果として受け止めるつもりではいますが、この不条理な社会の仕組みが変わらない限り、この世界の発展は望めないのではないでしょうか?

 

さて、本日は、「火事による江戸経済への影響」について紹介したいと思います。

 

江戸時代、たびたび発生した大火ですが、大火によって江戸城を含む江戸の町が焼失すると、その再建には莫大な費用と資材、労力が必要となりました。復興に伴う江戸幕府の支出、負担は尋常なものではなく、これが幕府財政窮乏の主な要因の一つであったことはうなずけます。もちろん、町人の負担も少なくなく、町入用経費でも、消防・防火対策関連費用が最も多かったと言われています。しかし、その一方で、火事によって新たな都市計画による町造りが可能となるなど、経済成長のきっかけになったことも事実です。

 

大火によって家屋ばかりでなく、蓄えらていた食料品の大半が焼けてなくなります。食料不足によって食品の価格が高騰、家屋再建のための木材等の建築資材に至っては何倍にも価格が高くなったようです。復興にあたってはインフラ建設が基本になりますから、増加する仕事量に伴って職人不足が生じ、各分野で賃金が高騰していきました。また、家屋不足による借家の賃料や橋梁の焼失による渡し船の賃料まで上昇する始末です。

 

武士や町人の生活への影響を踏まえ、幕府は物価の値上げを禁じる通達を出し、地方での米の幕府買い上げや、農民による米の直接販売を認めるなどの措置を講じました。このため、大火の後には、江戸から各地方への膨大な買い付けが増加するので、日本全国で経済的に大きな影響が及ぶことになります。また、いつの時代にも需要の増加に伴う便乗値上げをする者もいますが、江戸時代もその例外ではなかったようです。

 

江戸城天守閣や本丸までが焼失した明暦の大火の後の復興では、天守は再建されなかったものの、本丸御殿再建の費用が全部で93万両であったとの記録があるようです。また、幕府による救済も行われ、大名には下賜金や恩貸金が与えられ、旗本や御家人には禄高に応じた拝領金を与え、給米の前借も認めていたようです。一方、町人に対しては、大名に命じて粥などの炊き出しを行い、焼け出された米蔵の米を無料で町人に供出していました。

 

このように、大火の度に幕府が救済を続けていたのですが、幕府財政の悪化に伴い、救済の規模は次第に縮小されていきました。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年12月20日 10:10に書いたブログ記事です。

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