東藝術倶楽部瓦版 20190109:江戸の主な大火-明暦の大火後①

 

おはようございます。今朝の東京はまた一段と冷え込みます。ここ最近は、地下鉄神保町の駅を降りて九段下まで歩くのが日課になっていますが、普段ではしないマフラーと手袋をして歩いてきました。これから2月にかけて更に寒くなっていくのでしょうね。こうした日々の季節の変化を楽しめるのも、日本の良さなのかもしれません。

 

さて、本日は明暦の大火後の大火についてみてみましょう。明暦の大火がその後の江戸の消防体制に大きな影響を与え、火災に強い町造りが行われるようになったのですが、それでも火災を抑え込むことはできません。それは現在でもまったく変わっていません。ただ、その後、江戸時代においては、明暦の大火に匹敵する大規模な火災は発生していませんので、災害に強い町造りは意味があったといえるでしょう。

 

明暦の大火から3年後の万治3年(1660年)1月14日、湯島天神大門から出火する火事が発生します。人家2,350軒を焼き、当時江戸四座の一つに数えられていた中村座と市村座も焼失しました。当時、中村座は日本橋堺町、市村座は日本橋葺屋町(ふきやちょう)〔いずれも今の日本橋人形町三丁目〕にありました。