東藝術倶楽部瓦版 20190118【再送】:江戸の主な大火-宝永年間の大火

 

おはようございます。今朝の東京都心は風がかなり冷たく感じました。日本海側では雪の降るところが多く、太平洋側では乾燥した天気と、本日は冬の日本の特徴を示すそのままの天気になりそうです。

 

さて、本日は、宝永年間(1704年~1711年)の大火について紹介したいと思います。宝永の前の元禄の時代は、先に紹介した元禄の大火や元禄地震等の自然災害ばかりでなく、赤穂浪士の討ち入りなど大きな事件が起きた騒然とした時期でもありました。宝永年間においても、宝永地震、富士山の宝永大噴火(現在まで富士山の史上最後の噴火)、霧島、桜島、浅間山や阿蘇山でも噴火が続いて起きるなど、自然災害が次々と発生し、また江戸での火事も一向に減ることはありませんでした。宝永5年(1708年)には京都でも禁裏を焼く「宝永の大火」が起きています。

 

宝永3年(1706年)1月14日、神田から出火した火は、日本橋堺町、大坂町辺りまで延焼し、中村座や市村座が焼失しました。同じ年の1120日には、日本橋和泉町から出火、住吉町、堺町、葺屋町辺りまで延焼し、この火事でも再建したばかりの中村座と市村座が再び焼失しました。

 

翌宝永4年(1707年)3月8日に、今度は日本橋亀井町より出火します。この時の火災は大伝馬町、田所町、霊巖島まで延焼し、中村座が全焼しました。

 

更に宝永7年(1710年)1月18日、神田柳原の真田邸から出火した火が、日本橋堺町、葺屋町まで延焼し、中村座、市村座がまたもや焼失してしまいます。同年1219日には神田柳原の松平伊豆守中屋敷から出火し、日本橋小網町、伊勢町などを経て霊巖島まで延焼する火事が発生しました。

 

そして、宝永に続く正徳年間にも江戸では大火が続きます。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年1月18日 08:46に書いたブログ記事です。

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