東藝術倶楽部瓦版 20190204:江戸の主な大火-明和の大火①

 

おはようございます。三寒四温というにはまだ早い季節ですが、今日の東京は大分暖かくなるようで、日中の気温は19℃まで上がるようですが、明日からはまた寒さが戻るとのことです。昨日は節分には豆まきを楽しまれた方、恵方巻きを食された方もいるかと思います。今年の恵方は甲(きのえ)の方向、すなわち東北東です。以前、方角の神である歳徳神について紹介したことがあります。些細なことですが、こうした知識が日々の生活を豊かにしてくれます。

 

さて、本日は前回予告した通りに「明和の大火」について紹介していきたいと思います。今回と次回の二回に分けて説明します。明和の大火は、以前紹介した江戸最大の火事であった「明暦の大火」、後に紹介することになる「文化の大火」と共に「江戸三大大火」の一つに数えられる大規模な火災です。出火元の名をとって、「目黒行人坂の火事」とも呼ばれています。

 

明和9年2月29日(1772年4月1日)午の下刻(午後1時)頃、目黒行人坂(めぐろぎょうにんざか)〔現在の東京都目黒区下目黒一丁目〕の大円寺から出火した火事は南西の風に煽られて麻布、京橋、日本橋にあった武家屋敷を焼きつくし、神田、浅草、千住方面まで燃え広がり、その際に日本橋や中村座、市村座、吉原遊郭なども焼失しました。

 

この火事は、一旦は小塚原付近で鎮火したものの、同日の暮六つ(酉の正刻、午後6時)頃に本郷丸山菊坂(現在の東京都文京区本郷五丁目)から再出火します。火は駒込(東京都豊島区)、谷中、根岸(いずれも東京都台東区)に至り、翌2月30日(4月2日)の昼頃に鎮火したようにみえました。

 

ところが、3月1日(4月3日)巳の正刻(午前10時)頃に今度は馬喰町(東京都中央区日本橋)付近から再々出火します。この火は東側に燃え広がって日本橋地域全体が壊滅したとのことです。

 

この火災による死者は1万4,700人、行方不明者は4,000人余で、類焼した町は934町、大名屋敷は169カ所、橋170カ所、寺382カ所に上ったといわれています。山王神社、神田明神、湯島天神、浅草本願寺、湯島聖堂などの名所も被災しました。江戸の約三分の一が焼失してしまったそうです。

 

高見澤

2019年2月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28    

このブログ記事について

このページは、東藝術倶楽部広報が2019年2月 4日 08:13に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「 東藝術倶楽部瓦版 20190201:江戸の主な大火-明和の大火前の江戸の火事」です。

次のブログ記事は「藝術倶楽部瓦版 20190205:江戸の主な大火-明和の大火②」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ