東藝術倶楽部瓦版 20190215:江戸の主な大火-文化の大火以降の文化年間の火事

おはようございます。

前回は文化の大火について説明しましたので、本日は文化年間(1804年~1818年)のその他の火事について紹介したいと思います。江戸の大火もいよいよ19世紀に入ってきました。

 

文化の大火が起きたのは文化3年(1806年)3月のことでした。その年の1113日、日本橋葺屋町河岸の髪師・友九郎宅より出火する火事が発生しました。火は堺町、難波町(いずれも現在の中央区日本橋人形町一帯)、蛎殻町に広がり、中村座や市村座が焼失しました。

 

文化6年(1809年)1月1日暮六ツ(午後6時頃)過ぎ、日本橋左内町(現在の日本橋一・二丁目)から出火します。この火事は本所まで飛び火して夜九ツ半時(午前0時)に鎮火しました。この火事においても中村座、市村座が焼失するなど大きな被害がでました。

 

文化8年(1811年)2月11日申の刻(15時~17時)、市谷谷町(現在の新宿区住吉町)から出火、四谷、麻布、芝まで延焼する火事が発生、焼失町屋家数2万、死者は200人を超えたといわれています。文化9年(1812年)1121日宵五ツ時(午後8時頃)、浅草龍泉寺から出火し、吉原遊郭が全焼する火事が発生しました。

 

文化10年(1813年)1130日子の刻(午後11時~午前1時)過ぎ、日本橋高砂町(現在の日本橋富沢町)より出火し、和泉町、堺町、葺屋町の中村座、市村座、操り芝居が全焼、乗物町(現在の日本橋堀留町)周辺まで延焼する火事が発生しました。文化13年(1816年)5月3日には、吉原京町一丁目から出火し遊郭が全焼する火事も発生しています。文化14年(1817年)1月12日暁八ツ時(午前2時)に日本橋新乗物町南側から出火する火事が発生しました。この火事によっても堺町の中村座、葺屋町の市村座が焼失してしまいました。

 

来週月曜日2月18日は、朝から日帰りで大阪出張のため、瓦版もお休みします。次回は19日(火)の予定です。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年2月15日 09:39に書いたブログ記事です。

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