東藝術倶楽部瓦版 20190320:本陣の予備施設-「脇本陣」

 

おはようございます。今朝の東京は大分暖かく感じます。皇居田安門の周りの桜も開花の準備が整っているようで、もうしばらくしたら桜の花と花見客で大賑わいになりそうな雰囲気を感じています。明日は春分の日でお休み、明後日22日から出張で北京に行ってきます。週末を挟んで来週月曜日25日に帰国となりますので、次回の瓦版は来週火曜日26日以降になります。

 

さて、本日は「脇本陣(わきほんじん)」について紹介したいと思います。脇本陣とは、江戸時代に武士や公家の宿泊施設として宿場に設けられたもので、格式は本陣に次ぐものとされていました。

 

1宿1本陣が原則ではあったものの、大名の往来が激しい大きな宿場では本陣が2軒以上あり、その予備として脇本陣が数軒設けられていました。それでも足りない場合は、臨時の仮本陣が宿内の寺院などに置かれることもあったようです。

 

脇本陣の役割は、大きな藩の大名が宿泊する際に本陣だけでは泊まりきれない場合に、家老や奉行などの家臣が泊まったり、複数の藩が同じ宿場に泊まることになった場合に格式が低い大名が宿泊するなど、本陣が使えないときに利用されていました。本陣を利用する際の優先度からいうと、朝廷からの勅使→将軍の名代→大名(格式順)だったようです。

 

本陣が原則として一般客の宿泊が認められいませんでしたが、脇本陣は大名や勅使の利用がないときには、一般客の利用も認められていました(平常時には平旅籠として営業していた)。脇本陣の規模は本陣ほど大きくはありませんでしたが、本陣と同じく宿場の有力者が務め、諸式はすべて本陣に準じて上段の間などもありました。

現存している脇本陣としては、東海道舞坂宿(遠江国、現在の静岡県浜松市)、中山道妻籠宿(信濃国妻籠村、現在の長野県木曽郡南木曽町)、中山道太田宿(美濃国加茂郡、現在の岐阜県美濃加茂市)が公開されています。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年3月20日 08:10に書いたブログ記事です。

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