東藝術倶楽部瓦版 20190401:市から発展した「商店」

 

おはようございます。週末は東京の桜も満開だったようで、千鳥ヶ淵や上野公園、隅田川沿いなど桜の名所は多くの花見客で賑わったことでしょう。私の自宅の近所では予想された雨も降らず、今朝歩いてきた皇居田安門から靖国神社にかけての桜は、依然として満開状態でした。まだしばらくは花見が楽しめるのは良いのですが、花見客で昼食時のレストランが混み合うのはどうにかして欲しいところです。

 

さて、本日は宿場で旅人向けに商いを行っていた「商店」について紹介したいと思います。江戸時代、宿場の発展と共に街道沿いに商店が立ち並ぶようになります。これが商店街の起源の一つになったとの説もあるようです。

 

店舗を構える商店(店)の原型は、「市(いち)」の仮店舗から始まったといわれています。物資の売り買いを旨とする市自体は、古代からすでに行われていましたが、店舗を構えるどころか、時間的にも不定期のものが多かったようです。古代末期から中世になってくると、定期市へと進化すると共に、常設の店舗がみられるようになりました。定期市には、「仮屋(かりや)」と呼ばれる固定の設備が設けられ、元々は市が開かれる際に利用されていたものが、次第にそこに住みついて商いを行う「商人」が出現してきました。

 

元々の店というのは、街路に面した家の壁を刳り貫き窓を作り、そこに棚を設置して品物を置く簡素なものでした。「みせ(店)」という言葉は、元々は品物を「見せる」ところからきているとのことです。また、店のことを「たな」とも読みますが、これは江戸時代に表通りに店舗を出す商店のことを意味するようになり、この語源は店に設置した棚にあるのではないかと思われます。

 

古来、窓からでしか品物を見せなかった店も、中世になると壁を取り払って、屋内に品物を並べ、客が屋内に入って来られる今の商店の形式に近い店が登場してきました。中世も末期になってくると、入り口に暖簾を掛け、店内に装飾を施すなど、客寄せの工夫を行う店も出てきます。この頃には、京や大坂などの大都市ばかりでなく、地方にも店が存在していことが確認されています。

 

江戸時代、寛文年間(1661年~1673年)から元禄年間(1688年~1704年)頃に問屋制が成立すると、江戸、京、大坂などの大都市を中心に大規模な店舗が立ち並ぶようになります。こうした都会では、2階建てで間口が数間となる商店も少なくなく、壁を漆喰などで塗り固めるなど防災対策を行った建物となっていました。また、この時期には、問屋、仲買、小売りという現代に通じる商品流通の仕組みが形成され、店舗の形態もそれぞれに応じた設備が備えられていました。

 

街道沿いの宿場に設けられた商店は、大都市の店舗ほど大きくはなかったと思われますが、それでも宿場の大小によりそれなりの規模を誇っていたところもあるのではないでしょうか。店舗の造りは、基本的に街路に面して土間を設け、その奥を畳敷きの「間(ま)」として、その周囲の棚に商品を収納しておく形となっていました。店の中心となっていたのがこの「間」で、これ自体、元々は民家建築でいうところの「出居(でい)」が発達したものと言われています。そもそも出居というのは、寝殿の庇(ひさし)の内側にある街路に面した接客用の部屋のことですが、後に座敷が発達することにより、次第になくなっていきました。自宅で仕事をする「居職者(いじょくしゃ)」が仕事場として転用する場合もあり、これが商家建築の典型となっていきました。

 

街道沿いに宿場が設けられ、旅籠や茶屋、商店が立ち並んで賑わいをみせ、旅人が旅行を楽しめるように街道が整備された様子は、幕末に日本を訪れた欧米人にとってはさぞかし素晴らしい世界にみえたに違いありません。もちろん、伝馬の制の大元は中国から伝わったものであり、欧州でも各宿駅に町ができて賑わいを見せていたことはあったでしょうが、果たして庶民が安全で安く楽しめるような宿駅であったかどうかは疑問に思うところです。

 

高見澤