おはようございます。東京の桜の名所の一つ、千鳥ヶ淵から江戸城田安門までの間は、この時期多くの人で賑わいます。昨日は比較的早く19時過ぎには職場を離れたのですが、歩道は多くの人で溢れかえるほど! 桜好きの日本人の何と多いことか...。私自身、人混みが苦手なので、こうまでして桜を愛でたいとは思いませんが、これもまた日本人の文化なのかもしれません。大切にしていきましょう。
さて、本日は「枡形(ますがた)」と「木戸」について紹介したいと思います。この枡形と木戸は、本来は別のところに設置されていたものが、防塞の役割を果たす効果があることから、江戸幕府によって多くの宿場にも設置されるようになりました。
先ずは枡形ですが、元々は城郭の出入り口である「虎口(こぐち)」に設けられた施設で、方形の空間を石垣で囲み、高麗門と渡櫓門という二つの門が設置されていたことは、以前、江戸城の門を紹介したときに詳しく説明したかと思います。虎口の最も発達した形態と言われ、防御と攻撃の両面から大きな効果を得る造りです。
そこで、枡形のこうした防塞の機能を活かそうと、江戸幕府は敵の進入を防ぐため、宿場町の両端の出入り口に通じる道を直角に折り曲げて、簡単な枡形を設けるようにしたのです。
一方の木戸については、これも木戸番をテーマにした際に、具体的に説明した通り、江戸、京、大坂などの市中要所や城下町の町々の境界に設けられた警衛のための門のことです。この木戸もまた防塞の機能を有していたことから、宿場の両端の見附付近(枡形の外側)に設けられていました。
その木戸と木戸の間(見附と見附の間)が宿場町とされ、木戸のほかに一晩中灯りが灯される「常夜灯(じょうやとう)」が設置されているところもありました。宿場町の木戸も、ほとんどの場合は城下町の木戸と同じように、夜間は防犯等の目的で閉じられていました。西洋や中国では、頑丈な城壁と城門で町が囲まれていたのに対し、簡易な木戸で町の治安が保たれるというのも、江戸がユートピアであったと賞される所以です。
高見澤
高見澤