東藝術倶楽部瓦版 20190607:富士に登らば大山に登るべし-「大山街道」

 

はようございます。今朝の東京都心の蒸し暑さは、身体に応えます。天気予報では曇りのち雨と、確かにじわじわと湿度の高まりを覚えるところです。そういえば、来週月曜日から水曜日まで予定していた北京出張が急遽延期になりました。シンポジウムが、中国側の出席者の都合で延期せざるを得ず、いつ次に開催が決まるかは目途が立っていません。日本からは環境省の事務次官が出席することになっていたために、時間調整が手間取ることでしょう。

 

さて、本日は「大山街道(おおやまかいどう)」について紹介したいと思います。大山街道は「大山道(おおやまみち、おおやまどう)」とも呼ばれ、江戸時代に関東各地から相模国大山〔神奈川県伊勢原市、秦野市、厚木市の境にある標高1,252メートルの山〕の山頂に鎮座する「大山阿夫利(おおやまあふり)神社〔伊勢原市〕に通じる参詣道の総称です。大山を中心に放射状に広がり、その数は主なものでも8道、その他にも数多く存在するばかりか、時代によって変化する道もあって、記録されていた通りでないこともしばしばあるそうです。

 

もともと大山は雨乞いに霊験のある山として「雨降山(あふりやま、あめふりやま)」とも呼ばれ、昔から近隣の農民たちの山岳信仰の対象とされてきました。人皇第十代崇神天皇の御代に創建されたと伝わる大山阿夫利神社は、農民から五穀豊穣や雨乞いの神として信仰され、特に日照りや飢饉が続くと、多くの農民たちが参詣に訪れました。江戸時代には関東各地で「大山講」と呼ばれる相互扶助組織が設けられ、毎年4月5日~4月20日の「春山」と7月27日~8月17日の「夏山」の期間には特に人が多かったようです。江戸日本橋小伝馬町界隈の職人を中心に結成された大山講である「お花講」の人たちは、毎年夏開きの行事として大山山頂の木戸(登拝門)の開扉を行っていました。

 

道中の参詣者は、白の行衣(ぎょうい、ぎょうえ)、雨具、菅笠、白地の手っ甲、脚絆(きゃはん)、着茣蓙(きござ)という出で立ちで腰に鈴をつけ、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」の掛け念仏を唱えながら数人から数十人が一団となって大山に向かいました。最盛期であった宝暦年間(1751年~1764年)には年間約20万人が訪れたというのですから、かなりの賑わいをみせたことでしょう。

 

関東各地から大山に向かう大山街道のうち、8道とされる主要街道は以下の通りです。

①田村通り大山道:東海道藤沢宿四ツ谷から田村の渡し(相模川)を越えて大山に向かう道。

②青山通り大山道(矢倉沢往還):江戸赤坂から青山を経て二子の渡し(多摩川)、厚木の渡し(相模川)を越えて田村通りに合流。更には善波峠(秦野)を越えて松田惣領、矢倉沢を経て最終的には東海道沼津宿に至る。

③柏尾通り大山道:東海道戸塚宿不動坂(柏尾町)から戸田の渡し(相模川)を越えて青山通りに合流。

④八王子通り大山道:中山道熊谷宿から甲州街道八王子宿、久所(ぐぞ)の渡し(相模川)、才戸の渡し(中津川)を越えて青山通りに合流。

⑤府中通り大山道:日光街道粕壁宿から羽根倉の渡し又は秋ケ瀬の渡し(荒川)を越えて甲州街道府中宿に至り、中河原(関戸)の渡し(多摩川)、磯部(猿ケ島)の渡し(相模川)を越えて八王子通りに合流。

⑥六本松通り大山道:東海道小田原宿から飯泉の渡し(酒匂川)を越えて、六本松、坂本村から大山に至る道。

⑦羽根尾通り大山道:東海道小名向原から羽根尾、小竹、遠藤、久所を経て六本松通りに合流。

⑧蓑毛通り大山道:寺山村から蓑毛、子易を経て田村通りに合流。

 

この他にも大山に向かう街道として、川越街道下練馬村からの「ふじ大山道」、高麗川(日高)からの「武蔵秩父日高・飯能道」、横瀬から青梅を経る「武蔵秩父大宮道」、甲州街道関野宿又は日連村(ひづれむら)からの「津久井大山道」、甲州街道上椚田(かみくぬぎだ)の「甲州街道浅川口大山道」、東海道平塚本宿の「中原豊田通り大山道」、東海道平塚新宿からの「粕屋通り大山道」、東海道平塚八幡神社からの「矢崎原通り大山道」、東海道大磯宿西側の西小磯村〔伊勢原道〕又は万田(平塚)〔波多野道〕からの「伊勢原通り大山道」、東海道二ノ宮村からの「二ノ宮通り大山道」など、書ききれないほどのルートがあります。また、房総半島や伊豆半島からは海路を使って武蔵国金沢や相模川河口に渡り、そこから大山に向かう経路もありました。

 

このうち「ふじ大山道」は、「富士講」による富士山への参詣者もよく利用したことからその名が付けられました。当時、富士山への参詣者は大山にも参詣する「両詣り」が通例となっていたようで、「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」と伝えられています。これは大山阿夫利神社の御祭神が、富士山の御祭神である木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)の父君である大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)であるからとされています。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年6月 7日 10:05に書いたブログ記事です。

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