東藝術倶楽部瓦版 20190702:三浦半島をぐるりと一周-「金沢道」と「浦賀道」

 

おはようございます。今朝の東京は雨、先週末から梅雨らしい天気が続いています。蒸し暑くジメジメとした感触は決して心地よいものではありませんが、それでもこれもまた季節を感じる風物詩と捉えれば、まんざらでもありません。不快な思いがあってこそ、それを脱したときの心地よさが一段と映えてくるのではないでしょうか。

 

さて、本日は「金沢道(かなざわみち)」と「浦賀道(うらがみち)」について紹介したいと思います。先ずは金沢道です。この道は、東海道五十三次の程ヶ谷宿(横浜市保土ヶ谷区)の金沢横町から金沢(横浜市金沢区)の六浦陣屋(むつうらじんや)〔金沢八景駅〕に至る道のことです。

 

金沢道の経路は、程ヶ谷-いわな坂-岩井-清水ヶ丘公園-蒔田-弘明寺-上大岡-打越-栗木-能見台-金沢文庫・称名寺-町屋-瀬戸神社-金沢八景に至り、そこから鎌倉道や浦賀道につながります。

 

金沢の六浦から朝比奈切通しを経て鎌倉に通じる道は、以前紹介した鎌倉街道下道で、これと合わせて「金沢鎌倉道」とも呼ばれています。鎌倉街道下道は「六浦道(むつうらみち)」とも呼ばれ、六浦湊(六浦津)は風浪を防ぐ良港だったこともあり、鎌倉幕府の物流の拠点として賑わい、六浦や釜利谷(かまりや)で造られた塩が鎌倉に運ばれました。

 

六浦から浦郷(うらごう)〔神奈川県横須賀市〕を経て浦賀に向かう街道が浦賀道です。程ヶ谷から六浦までの金沢道と合わせて、横須賀村までの道を浦賀道とすることもありますが、もう一つ東海道五十三次の戸塚宿から浦賀に至る浦賀道のルートもありました。このルートは戸塚宿(神奈川県戸塚区)から雪下村(神奈川県鎌倉市)、小坪村(神奈川県逗子市)を経て下平作村(横須賀市)に至る道です。金沢道が三浦半島の江戸湾側を南下するのに対し、この戸塚ルートは三浦半島の相模湾側を南下するものでした。

 

江戸時代、元和2年(1616年)に下田(静岡県下田市)に番所を置いて江戸湾に入港する船舶を監視しましたが、その後享保5年(1720年)に浦賀奉行を設置して番所も浦賀に移ります。これによって、浦賀道は幹線道路として整備されることになり、特に幕末の黒船来航以降は更に人馬の行き来が盛んになりました。明治以降、横須賀が軍港として発展するのは、こうした下地があっての所以です。

 

金沢道や浦賀道につながる小道として、「白山道」や「野島道」などの名称が残っている街道もありました。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年7月 2日 10:20に書いたブログ記事です。

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