東藝術倶楽部瓦版 20190712:大木戸越えれば内藤新宿-「四谷大木戸」

 

おはようございます。梅雨らしい天気が続いています。昨日から降り始めた雨は今朝になっても降り続いている東京ですが、もう暫くしたら曇りになるとの予報です。今日は午後から経済産業省で打合せ、夜は公安関係の人と会食と、落ち着いて作業できる時間がとれません。明日からの3連休もパソコンや資料とのにらめっこが続きそうです。

 

さて、本日は「四谷大木戸」について紹介したいと思います。前回も説明した通り、四谷大木戸は、甲州街道に設けられた江戸へ出入りする際の検問所です。日本橋から甲州街道を歩き第一宿である内藤新宿〔元禄12年(1699年)開設〕に至るには、この四谷大木戸を通らなければなりませんでした。

 

四谷大木戸が設置されていた場所は、現在の新宿通り(国道20号線)と外苑西通り(東京都道418号線北品川四谷線)が交差する四谷四丁目の交差点辺りです。現在、この交差点上が四谷大木戸跡として東京都指定旧跡となっています。この近辺は今でも「大木戸」と呼ばれていますが、行政上の地名としては残っていません。ただ、新宿御苑の東北側の出入り口は「大木戸門」の名称が使われ、四谷四丁目交差点から外苑西通りの一つ北の交差点は「大木戸坂下」と命名されています。

 

江戸幕府によって四谷に大木戸が設けられたのは元和2年(1616年)のことです。高輪大木戸と同じように、道の両側に石垣で囲まれた土塁が築かれ、その間に大きな木戸が設けられていました。木戸の間口は2間半(約4.5メートル)と狭く、当初は明六つに門が開けられ、暮六つに閉じられていましたが、寛政4年(1792年)以降は、木戸が撤去され、土塁だけが残りました。この土塁も明治維新以降に、交通の障害になるとのことで撤去されてしまいます。また、当時描かれた四谷大木戸の絵をみてみると、江戸市街地側に石畳が敷かれている様子が伺えます。これもまた、明治以降に撤去されてしまいました。

 

四谷大木戸近くには、承応2年(1653年)に完成した玉川上水の四谷水番所が設置されていました。多摩川の羽村から取水され、開渠のまま流されてきた水は、この水番所から先は地下に埋設された木製又は石造りの樋によって江戸の各地に配水されていました。水番所では、毎日時刻を決めて水位を計測し、羽村の取水口と連絡を取り合って水量の調節を行っていました。近代水道網も整備とともに、玉川上水は使われなくなっていますが、この水番所の跡には東京都水道局新宿営業所がある四谷区民センターが建っています。

 

ついでに、江戸の大木戸としてもう一つ存在が確認されている「板橋大木戸」についても簡単ですが紹介しておきましょう。板橋大木戸は詳細な資料が残っておらず、実態はよく分かっていません。大木戸が設置されていた場所は、板橋宿上宿にある「岩の坂」上辺り、現在の板橋区本町27番地付近といわれています。この大木戸も他の大木戸と同じように江戸時代後期には使われなくなりました。

 

高見澤