東藝術倶楽部瓦版 20190826:「利根川東遷事業」と「内川廻し」

 

おはようございます。週末、フランス南西部のビアリッツでの先進7カ国(G7)首脳会議に出席中の安倍総理は、米国トランプ大統領と首脳会談を行い、日米貿易交渉が大筋で合意し、9月署名を目指すことになりました。その中で、日本は米国産トウモロコシを輸入することになったようですが、米国の遺伝子組み換えのトウモロコシが大量に日本に入ってくることに、危惧を覚えざるを得ません。トウモロコシの用途は主に家畜・家禽の飼料です。それを食べた牛や豚、鶏を今度は日本人が食べることになります。中国に輸出できなくなったトウモロコシを日本に買わせようとする米国穀物メジャーの意図を、安倍総理が忖度した形となった日米貿易交渉の結果です。

 

さて、本日は「東廻り航路」とも所縁の深い河川航路「内川廻し(うちかわまわし)」と、その発展の基となった「利根川東遷事業」について紹介しましょう。

 

利根川東遷事業は、江戸幕府最大の土木事業の一つとされています。従来、利根川の流れは江戸湾(東京湾)に流れ込んでいましたが、その流れを東側に変えて、銚子(千葉県銚子市)から太平洋に注ぎ込むようにしたのが、この利根川東遷事業です。徳川家康の命によるこの事業は、家康の江戸入府から4年後の文禄3年(1594年)に工事が始まり、秀忠、家光、家綱の将軍4代の治世に跨って、承応3年(1654年)までの60年の歳月をかけて完成させた大規模なものでありました。これに携わったのが、徳川四天王の一人・榊原康政の補佐役を務めた伊奈忠次とその次男・忠治です。

 

当初、大川(隅田川)に流れ込んでいた利根川は、忠次によって太日川(ひとひがわ)〔荒川〕に合流〔古利根川(ふるとねがわ)〕させられることになります。その後、元和7年(1621年)、忠治は利根川東遷の第一段階として、新川、赤堀川の開削を行います。この事業は幾たびかの失敗を繰り返しながら、承応3年に利根川はようやく現在のように銚子へと流れを変えることができました。

 

この利根川東遷事業の目的ですが、以前は江戸の町を川の氾濫による洪水から守るための治水事業として考えられていました。しかし、それまで利根川の洪水が江戸の町を直撃した記録はなく、「荒川の背替え(現在の元荒川から今の荒川に川の流れを変えた事業)」では洪水被害を覚悟の上で工事を行っていることから、「治水」よりも、船舶の通行を念頭に置いた「利水」事業あったというのが、現段階での定説になっています。

 

寛文年間(1661年~1673年)に、川村瑞賢によって「東廻り航路」と「西廻り航路」が整備されると、各地域と江戸との間の物資輸送は一気に拡大していきます。東廻り航路では、日本海側の物資が津軽海峡を経て三陸沖、仙台、那珂湊、鹿島灘、房総半島沿岸を通って、一旦伊豆下田に帆走し、そこで風待ちをして江戸湾に入る航路を取ります。このルートですと遠回りの上、風待ちの日数が加算し、廻船の難破のリスクなどもあったことから、更に合理的なルートへの渇望が生まれます。

 

そこで、これに代わるルートとして使われたのが「内川廻し」または「奥川廻し(おくかわまわし)」と呼ばれる「河川舟運(かせんしゅううん)」です。河川舟運については、後日あらためて紹介します。太平洋沿岸の那珂湊、あるいは銚子湊まで運ばれた物資を、川舟に積み替えて北浦、霞ケ浦を経て、内陸部の大小の河川伝いに江戸まで運ぶルートです。その際、大いに利用されたのが東遷を終えた利根川です。このルートには、那珂湊と北浦、あるいは那珂湊と霞ヶ浦との間の陸路や、水不足の河道をソリのように曳き舟する部分も含まれており、荷物の積み替えの手間など不便な点も少なくありませんでした。

 

それでも航行日数の予定が立たない伊豆下田経由の外洋ルートよりも、遥に有利な点が多く、内川廻しルートは大いに利用されていました。調子から利根川に入った物資は、江戸川を経由して金町より下流で新川、小名木川を通り江戸市中にもたらされていました。江戸での消費されるもののほか、上方に輸出される物資もこのルートで江戸に集積されていました。

 

内川廻しルートで運ばれた主なものは、東北の米、銚子の魚、醤油、干鰯(ほしか)〔魚肥〕、〆粕(しめかす)、その他近隣地域の物資などです。江戸の発展は、こうした物流システムの発展によって支えられていたと言っても過言ではありません。内川廻しの改修・整備は幕末の安政年間(1855年~1860年)まで続きました。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年8月26日 09:18に書いたブログ記事です。

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