東藝術倶楽部瓦版 20190830:【江戸の乗り物その14】弁才船の原型-「伊勢船」と「二形船」

 

おはようございます。九州では豪雨による被害が広がり、更に新たな災害が発生する可能性が高まっています。佐賀県では今回の豪雨で鉄工所から流れ出た油による被害も広がっているようで、油膜が有明海でも確認されています。農水産物への汚染や洪水が引いた後の油処理が懸念されるところです。この鉄工所では、以前にも同様の問題が起きて、対策をとっていたとのことですが、前回の教訓が活かされていなかったことは、大変残念な結果と言わざるを得ません。

 

さて、本日は前回紹介した「弁才船」の原型となった「伊勢船(いせぶね)」と「二形船(ふたなりぶね)」について紹介したいと思います。伊勢船と二形船は、いずれも室町時代から江戸時代前期にかけて使われた船です。こうした日本で独自に建造された船は、弁才船も含め「和船(わせん)」と呼ばれています。

 

先ず伊勢船ですが、これは主に伊勢地方を中心に建造されたもので、船首は「戸立造り(とだてづくり)」と呼ばれる箱型になっているのが大きな特徴です。軍用の「安宅船(あたけぶね)」、或いは大型荷船として使われていました。江戸時代中期には、二形船や弁才船に比べ帆走性能や経済性の面で劣ることから、ほとんど姿を消してしまったといわれています。

 

江戸時代末期から明治にかけて、知多半島伊勢湾沿いの野間、内海、常滑等で多くみられた買積船、内海船のことも伊勢船と呼ぶことがありますが、これは先の伊勢船とは別のものです。

 

二形船は、海運の主力になった大型船で、船型や構造は弁才船と似たところもありますが、大きく異なるところは、船首下部が「水押(みよし)造り」、上部が箱型の「箱置造り」となっているところです。二形船の名称もここからきており、「二成船」、「二姿船」と表記されることもあります。

 

こうした和船も、海外から西洋式船舶が導入されることで、次第にその姿が見られなくなっていきました。水深の浅い日本近海を巡るには、この和船が重宝された時代もあり、船舶の形状や構造に対する工夫、操舵技術の進歩には関心させられることも少なくありません。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年8月30日 10:26に書いたブログ記事です。

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