東藝術倶楽部瓦版 20190904:【江戸の乗り物その17】江戸時代の駆逐艦-「小早」

 

おはようございます。連日の豪雨で、特に西日本では被害拡大に警戒が必要となっています。長崎県では1時間に約120ミリという記録的短時間の大雨が降り、浸水ばかりか土砂災害への警戒が必要になっています。昨日は関東でも局地的に急激な大雨に見舞われたところもあり、横浜駅が一時浸水する事態となったようです。今日は、太平洋側を中心に晴れるところが多いものの、大気が不安定となるため、急な落雷や雷雨に警戒が必要とのことです。

 

さて、 本日は小型の軍用船「小早(こはや)」について紹介したいと思います。この小早も「安宅船」や「関船」と同じように、戦国時代から江戸時代にかけて使われた軍船の一つです。「小型の早船(関船)」との意味合いから小早と呼ばれるようになり、「小早船(こばやぶね)」とも称されています。

 

規模の大きさから例えれば、安宅船が戦艦、関船が巡洋艦、小早が駆逐艦といった感じにはなりますが、これはあくまでも規模から想像した例えで、その役割は現代の軍船とは異なります。艪の数は概ね40挺以下で、船体は小さくそれを覆う総矢倉は設置されていません。そのため、搭乗できる戦闘員は少なく、矢倉上の高い位置から射撃することはできません。また、楯板による装甲もなく、「半垣造り」と呼ばれる足を隠す程度の低い垣立(側壁)があるだけで、防御力はほとんどありません。

 

つまり、戦闘力としてはほとんど期待できるものではなく、軽快な機動力を活かして偵察や伝令、援護、輸送、護衛など、戦闘での補助的な役割を担っていました。ただ、焙烙火矢(ほうろくひや)や投げ焙烙などの飛び道具を主要武器とする場合や奇襲攻撃には、小型で快速の小早が主力艦になる場合もあったようです。

 

小早は、平時には警察任務を行うのに適していました。防水や腐食防止、装飾のために船体を漆で華麗に塗り上げられた「塗小早」と呼ばれる小早も見られるようになります。江戸時代には海運にも用いられるようになり、喫水線が低いために河川の奥まで進入が可能で、陸路の輸送にも使われていました。積載量は、通常は300石積以下、渡海船では500石積になることもあったようです。船足が速いことから、「物見船」、「飛脚船」と呼ばれることもありました。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年9月 4日 10:37に書いたブログ記事です。

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