おはようございます。連日の残業続きで、寝不足が深刻化しています。来週の日本経済界の訪中代表団派遣を控え、準備作業も大詰めを迎えています。中国側に渡す記念品として、昨年、江戸時代の本物の浮世絵が好評だったことから、今年も浮世絵を手渡すことしました。2年連続で同じ種類の記念品を選ぶことは異例のことです。自国の長い歴史・文化・伝統を誇りとし、派手な色彩を好む中国人だからこそ、本物の良さが分かるのかもしれません。
さて、本日は「御座船(ござぶね)」について紹介したいと思います。御座船には、江戸時代に裕福な町の人たちが川遊びに用いた屋形船を指すこともありますが、ここでは天王や公家、将軍、大名などの貴人が乗る船、いわゆる「御召船(おめしぶね)」を説明します。
御座船は、貴人が使うだけに、その造りは豪華絢爛に仕立てられていました。とはいっても、その型は時代や用途によって大きな違いがあったようです。上部構造である屋形にも数種類あるようですが、総じて屋形は中倉(上段、床几)、次之間、後倉〔舳屋根(へさきやね)、出屋根〕から成っていて、その上に太鼓楼が設置されていました。中倉の前には表出屋根、その下には小床几、左右に旅屋根があります。
天皇の御座船は茅葺きで千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)がのせられ、将軍の御座船は檜皮葺きで鯱がのせられていました。栃葺きで箱棟(はこむね)鬼板(おにいた)、唐破風(からはふ)、てり破風、むくり破風、入母屋造(いりもやづくり)や横棟造で上屋形または左右の高欄胴舟梁まであるのが普通だったようです。
従来、安宅船をベースに仕立てられていた御座船ですが、一般に慶長14年(1609年)の「大船建造の禁」が出されてから、中型の軍船であった「関船」を華麗に飾り立てて御座船として使用することが多くなりました。御座船は、大名の参勤交代に用いられたほか、琉球使節の江戸上り、朝鮮通信使の送迎にも使われていました。特に送迎役となる九州、四国、瀬戸内海から伏見に至るまでの諸大名はもちろんのこと、徳川将軍家も大坂に4隻の御座船を常備していたとのことです。
海洋で使う御座船は「海御座船」、河川用のものは「川御座船」と呼ばれており、瀬が浅くて御座船が通せない場合には、河川用の「御召替船(おめしがわりぶね)」、「中御座船」、「小御座船」などが使用されていました。
高見澤