東藝術倶楽部瓦版 20190927:【江戸の乗り物その22】中型の川舟-「平田舟」

 

おはようございます。最近、中国に出張に行き、一番困ることは何かというと、タクシーがなかなかつかまらず、タクシー代の支払いにも困ることです。中国で急速に広まったスマホによる配車サービス、そしてスマホによるキャッシュレス決済が、出張者など外国人は対応できずに困ることが少なくありません。中国国内に銀行口座があれば外国人でもスマホ決済はできますが、駐在でもしない限りわざわざ口座を作る人は少ないでしょう。外国人が少なかった30年前には、外国人を「外賓(Waibin)」と呼んで、二重価格による高額支払いを求められたものの、何かと優遇されていましたが、現在では二重価格はなくなりましたが、不便さを感じることが多くなってきました。経済成長や国民所得の向上によって国や人の考えが大きく変わる現実を実感できる典型例だと言えるでしょう。

 

さて、本日は前回の「高瀬舟」と類似した川舟の一つ「平田舟(ひらたぶね)」について紹介したいと思います。平田舟も和船の一つで、高瀬舟と同様に内水を航行するできるよう喫水が浅く、船縁を低くし、船底を平たく、全体に細長く作られていました。古くは上代から江戸時代、更には大正時代(1912年~1926年)まで多く使われていました。

 

「艜船」、「平田船」、「平駄船」、「比良太船」などとも表記され、時代や地域によって大きさ、船型が様々なものがありましたが、一般に高瀬舟よりは大きく、次回紹介する「五大力船」よりは小さいものを平田舟と呼んでいました。平均的には積載量は14石程度で、平田舟の小さいものは「小平田(こひらた)」、大きいものは「大平田(おおひらた)」に分けられていました。

 

長さは約1524メートル、横幅は3~4メートルで、船首に水押し(みおし)があり、船腹に根棚(ねだな)と上棚(うわだな)の二枚棚、船尾にモギと袖艫(そでとも)を持つセイジ(船室)がありました。大きな帆柱があり、主には帆走でしたが、流れの速い上りの場合には曳船によって運航することもありました。

 

日本全国の河川等で、荷物や旅客の輸送に使われていました。北上川流域等では米などの輸送、関東では利根川上中流域や荒川・新河岸川(しんがしがわ)等で使われ、諸河川では海産物を市場に水揚げする際の艀(はしけ)として利用されることもありました。また吉野川では、下りは薪炭や煙草、藍玉を、上りは塩、米、麦、雑貨等を運んでいました。利根川上中流域で使われていた平田舟を「上州艜(じょうしゅうひらた)」、荒川流域の平田舟は「川越艜(かわごえひらた)」と呼んでいました。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年9月27日 08:11に書いたブログ記事です。

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