東藝術倶楽部瓦版 20191002:【江戸の乗り物その25】江戸のカッターボート-「伝馬船」

 

おはようございます。昨日、中国・北京では建国70周年を祝う軍事パレードが行われ、新型のICBMや戦闘機などが披露され、中国が想像以上に軍事力を高めている姿が映し出されました。今回の式典には海外からも多くの来賓が招待され、鳩山由紀夫元首相夫妻のほか、我が職場の理事長も式典に参加しています。軍事パレードに先立つ習近平国家主席の演説では、「平和統一、一国二制度を堅持し、香港・マカオの繁栄と発展、両岸関係の平和と発展を推進する」と述べていましたが、香港では警官が発砲した実弾が高校生に当たり、重体になるという事件も発生しており、香港で起きている抗議デモに対する解決の糸口は、当分見付かりそうもありません。建国70周年の記念行事を無事終えた中国政府、或いは中国共産党がこれから香港に対してどう対処していくのか、目を離せなくなっています。

 

さて、本日は「伝馬船(てんません)」について紹介しようと思います。伝馬船とは、江戸時代から近代にかけて日本で用いられた小型の木造の和船のことで、一般的には、廻船などの大型の船に搭載され、その親船(本船)と陸岸との間を往来して荷物の積み下ろしや、乗員・乗客の運搬、漕送機能のない親船の出入港時の曳航などに利用していました。

 

「艀(はしけ)」、「橋船(はしぶね)」、「脚継船(あしつぎぶね)」、「枝船(えだぶね)」などとも呼ばれていました。今でいう「カッターボート」といったところでしょうか。

 

親船が廻船の場合は100石以上の船には必ず搭載され、搭載される伝馬船の標準は本船の20分の1ないしは40分の1の大きさとされていました。千石積の廻船では30石積の伝馬船を装備しており、全長は40尺(約12.12メートル)で、6丁または8丁の櫓を推進具とし、平たい打櫂(うちかい)、練櫂(ねりかい)、帆を装備する大型のものもありましたが、小型のものは船尾左舷に櫓を備え一人で漕ぐものが多かったようです。操船が比較的自由で軽快なことから、救命用や連絡用に用いられることもありました。

 

親船に積荷がないときには船体中央胴の間にある伝馬込に置かれ、積荷があるときには船首の合羽上に搭載されるか、或いは曳航されていました。船上に搭載する場所のない軍船などでは、曳航されていました。廻船では帆柱、楫(かじ)、帆桁(ほげた)とともに4つ道具の一つとして必ず装備すべき付属品とされていました。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年10月 2日 08:04に書いたブログ記事です。

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