おはようございます。「天高く馬肥ゆる秋」。秋の味覚が楽しめる季節になってきました。10月といえば衣替えの季節で、クリーニングに出しておいた秋冬物のスーツがいつでも着ることができるよう準備しているのですが、まだ夏物で十分過ごせる状態です。「暑さ寒さも彼岸まで」などという言葉も、すでに今の季節感に合わなくなってきています。
さて、本日は「茶船(ちゃぶね)」について紹介したいと思います。茶船と呼ばれる船は、主に2種類に分けられます。その一つは「瀬取り船(せどりぶね)」、或いは「上荷船(うわにぶね)」とも称され、江戸や大坂などの大港湾都市の港へ入港した大型廻船で運ばれてきた貨物を河岸に積み送るのに使用された船です。もう一つは「うろうろ船(うろうろぶね)」、或いは「煮売船/煎売船(にうりぶね)」と呼ばれ、港湾や河川に停泊中の廻船や航行中の船舶の乗組員・乗客に飲食物を提供していた小船です。
瀬取り船として使われていた茶船は、港湾にあって沖がかりしている廻船と陸岸との間の荷物の運送が主な役割で、場所によって船型、構造、規模の大小などが異なり、船種は一定していません。大坂では10石積ないしは20石積の小舟でしたが、江戸ではいろいろな種類があり、品川の瀬取りでは65石積を基本とした大型の茶船が使われていたようです。
一方、煮売船として使われていた茶船は、廻船の多い港湾で停泊中の船や通行の頻繁な河川を航行する船の間を「うろうろ」と彷徨う様子から、うろうろ船の名称となったとのことです。通常は、小伝馬船に2人が乗って、船内に竈を設けて餅、芋、でんがく、果物等の食べ物や酒を売っていました。式亭三馬が書いた滑稽本『浮世風呂』四に、「西瓜(すいくわ)玉蜀黍(たうもろこし)のうろうろ船や、馬鹿囃子(ばかばやし)のさわぎ舟が出やうもしれねえ」とあり、当時の様子が表されています。大坂では「食わらんか舟(くわらんかぶね)」と呼ばれ、淀川を往来する大型船に近寄り、乗船客に飲食物を売っていました。
茶船としては、このほかにも「猪牙船(ちょきぶね)」や「荷足船(にたりぶね)」などの小船、投網・雑魚・貝類取りなどの磯漁に使う小船、利根川流域で薪炭・木材・米穀等を輸送した中型船を指す場合もありました。これらについては、追々紹介していきたいと思います。
高見澤